HOME > キッズページ > 文明開化をのぞいてみれば… > B.山下居留地 > B1.海岸通りとフランス波止場
イギリス波止場(はとば)に近(ちか)い場所(ばしょ)から、居留地(きょりゅうち)1番(ばん)、2番(ばん)…と続(つづ)き20番(ばん)までが海岸通(かいがんどお)りをかたちづくりました。この絵図(えず)がつくられた明治初年(めいじしょねん)の代表的(だいひょうてき)な外国商人(がいこくしょうにん)・施設(しせつ)としては、1番(ばん)がイギリスのジャーディン・マセソン商会(しょうかい)、2番(ばん)はアメリカのウォルシュ・ホール商会(しょうかい)、4番(ばん)はカナダのパシフィック・メール社(しゃ)、9番(ばん)フランス海軍病院(かいぐんびょういん)、11番(ばん)オリエンタル銀行(ぎんこう)、18番(ばん)インターナショナル・ホテル、20番(ばん)グランドホテルなどがありました。居留地(きょりゅうち)10番(ばん)〜12番(ばん)の先(さき)には、フランス波止場(はとば)があり、イギリス波止場(はとば)を「西波止場(にしはとば)」というのに対(たい)して、「東波止場(ひがしはとば)」といわれました。また、海岸通(かいがんどお)りは石油(せきゆ)をともした光(ひかり)が夜(よる)の闇(やみ)を照(て)らしました。
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