横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第102号
2008(平成20)年10月29日発行

表紙画像

企画展
港町 百花繚乱(ひゃっかりょうらん)
−横浜から広がる「緑花(りょくか)」文化−

横浜植木商会“The Yokohama Gardeners Association”の海外向けカタログ〔1890年〕
横浜植木株式会社蔵・当館保管
横浜植木商会“The Yokohama Gardeners Association”の海外向けカタログ〔1890年〕
川和・松林圃(しょうりんぽ)中山家が改良した菊「男山」
『菊の香』明治43(1910)年刊

中山浩二郎家文書・当館蔵
川和・松林圃(しょうりんぽ)中山家が改良した菊「男山」

季節の花を愛(め)で、緑に親しむことは、庶民のもっとも身近な楽しみです。

長く続いた鎖国が終わるころ、シーボルトによって海外に持ち出された日本の植物のかずかずは、欧米で注目される存在となりました。日本の開国を実現させたペリー艦隊にも植物収集家が乗船しており、沖縄・小笠原・横浜・下田・函館などで植物を採取し、アメリカに持ち帰っています。

横浜開港後、日本に進出した居留外国人は商館や居宅を花と緑で飾りました。五雲亭貞秀によって描かれた浮世絵「御開港横浜大絵図二編 外国人住宅図」により、外国人住宅のあちこちの庭に樹木が生えていることが知れます。すでにあった樹木を生活空間に取り込んだと思われます。外国人は身近な「緑花」をはかる一方で、公園の整備をもとめました。山手公園や横浜公園はその所産でした。また、人力車で遠出をして花を楽しんでいます。

横浜には、伝統的な花の名所がありました。伊勢山・野毛山の桜、杉田の梅、金沢泥亀(でいき)の牡丹園などです。また、開港後開削された堀割川にも、川岸に桜が植えられ、名所となっています。一方、都心部で愛されたのは、夏の朝顔・秋の菊でした。鉢で栽培され、変わり咲きが楽しめました。郊外の川和は全国屈指の菊改良の地として著名でした。中心部でも、豪商茂木家の庭園や遊廓神風楼(じんぷうろう)に咲く菊花を楽しむ庶民の姿がありました。豪商原家や高島家の私庭が開放され、大正〜昭和期には大花壇をもつ遊園地があらわれています。

日本の「緑花」文化を語るうえで、在来植物の輸出や西洋植物の輸入を手がけた商社の存在は欠かせません。19世紀ヨーロッパで熱狂的に受容されたユリの球根貿易は横浜港の独壇場でした。海外でも日本庭園が造られ、欧米人の日本文化への親しみを深める役割を果たしました。

また、植物貿易商は温室をもち、世界の珍しい花を開花させて、国内へ普及させました。横浜は、内外「緑花」文化の交差点としての役割をになっていたのです。

今展示は、19世紀半ば〜20世紀初頭の横浜に展開した花と緑が、国内外の生活・文化に与えた「潤い」をふり返ります。

(平野正裕)

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