横浜開港資料館

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「開港のひろば」第102号
2008(平成20)年10月29日発行

表紙画像

資料よもやま話
「聖上陛下 復興の横浜へ行幸」

昭和4年4月23日、震災復興を完成させた横浜市に昭和天皇が行幸、翌24日には復興祝賀式が行われた。この復興に沸く横浜の様子を、横浜シネマ商会は全5巻・1170メートルのフィルム(約10分 無声)に収めた。この映像は、現在、ヨコシネ・ディー・アイ・エーに保存されている。同社のご厚意を得て、その内容を紹介する。同社に深甚の謝意を表する次第である。なお、映像の梗概は、内務省警保局編『映画検閲時報 第16巻』(復刻・不二出版、昭和60年)に掲載されており、『郷土よこはま』125号に転載されている。また両日の様子は『横浜復興誌』第4巻、及び『横浜貿易新報』『横浜毎朝新報』に詳述されている。

(1)プロローグ

ハマ菱と横浜市歌を冒頭に配した映像は、横浜港大桟橋と新港埠頭、横浜市街地の空中撮影で始まる(写真1)。これは、同社が震災の2ヶ月前(大正12年7月)に横須賀海軍の飛行船に乗って横浜・東京の上空から撮影に成功した「東京見物」の映像を使用している。

写真1 下は大桟橋、上は新港埠頭方面
下は大桟橋、上は新港埠頭方面

続いて「東洋一を誇りし栄えもあはれ大正十二年の大震災にあひて」「見る影もなきいたましき姿」と、震災直後の新港埠頭の映像(写真2)が流れる。これも同社が震災直後に撮影した「横浜大震火災惨状」の映像の一部である。

写真2 倒潰した赤煉瓦倉庫の一部
倒潰した赤煉瓦倉庫の一部

次に「されど打たれゝば打たる程叩かれゝば叩かれるほど撥(は)ね返る我横浜市民の意気」と、路傍の露天群(写真3)、バラック、山と積まれた復旧工事用の材木など、貴重な映像が続く。さらに「今や灰燼より起ち上る鳳凰の勢 復興の姿 美はしき我等の横浜」と、開港記念会館のアップ(写真4)に続き、県庁屋上からの市中パノラマが流れ、いよいよ天皇行幸の映像が始まる。

写真3 震災直後のバラックと露店群
震災直後のバラックと露店群
写真4 開港記念横浜会館と市中パノラマ
開港記念横浜会館と市中パノラマ

(2)行幸1

午前9時50分横浜駅に到着した一行は、4台の自動車に分乗し、玉砂利を敷いた駅前広場の巨大な奉迎門の脇を走る(写真5)。沿道には約5000人の児童等が迎えるが、やや緊張した面持ちで出迎える老婆たちの姿(写真6)が印象的である。

写真5 横浜駅前の奉迎門
横浜駅前の奉迎門
写真6 沿道で臨幸を待つ人々
沿道で臨幸を待つ人々

5分後、岡野町の神奈川県立高等女学校に到着。君が代吹奏の後、約2000名の女学生徒によるマスゲーム(写真7)、青年訓練所生徒による手旗信号等を観覧した。

写真7 県立高等女学校でのマスゲーム
県立高等女学校でのマスゲーム

再び車で移動、カメラは車上から沿道の人びとをとらえている。一行は生糸検査所に到着。30分ほど館内の検査室・陳列室等を観覧したが、玄関前に車が到着する場面のみで、内部の映像は無い。

さらに神奈川県庁に移り、神奈川県知事・横浜市長らの拝謁、県治・市勢報告を受けた。昼食の後、6階屋上に特設された展望御座所(ござしょ)から市内の復興状況を望遠する一行の様子が映されている(写真8)。また、遠望のホテル・ニューグランド、完成間近の山下公園、大船の着岸した大桟橋、艀溜(はしけだまり)、新港埠頭など海岸方面のパノラマ映像(写真9)が挿入されている。

写真8 県庁屋上の展望御座所(ござしょ)
県庁屋上の展望御座所(ござしょ)
写真9 県庁屋上より山手方面を望む 中央に走る道は水町通り
県庁屋上より山手方面を望む 中央に走る道は水町通り

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