横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第102号
2008(平成20)年10月29日発行

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資料よもやま話
「聖上陛下 復興の横浜へ行幸」

(3)行幸2

次の訪問地は、この日に開館した横浜商工奨励館である。玄関では有吉忠一(ありよしちゅういち)横浜市長、平沼亮三(ひらぬまりょうぞう)市会議長、井坂孝(いさかたかし)横浜商工会議所会頭等が出迎えている(写真10)。有吉はいつもの背筋をピンと伸ばした立ち姿であるが、この前日まで胆石の発作で病床にあり、頬の周りがやや痩せ細っているのは病み上がりのためか。20分ほど館内を観覧したが、ここも内部の映像は無い。

写真10 右から有吉忠一(ありよしちゅういち)、平沼亮三(ひらぬまりょうぞう)、井坂孝(いさかたかし)(横浜商工奨励館前)
右から有吉忠一(ありよしちゅういち)、平沼亮三(ひらぬまりょうぞう)、井坂孝(いさかたかし)(横浜商工奨励館前)

その後、横浜市立横浜小学校に立ち寄ったあと、奉迎式会場となる横浜グランドへと向かう。約2万人が見守るなか、天皇はスタンドの頂上貴賓席に位置し、中段の式壇で有吉が「奉迎文」を奉読(写真11)、最後に一同で万歳を行う(写真12)。

写真11 昭和天皇に奉迎文を奉読する有吉忠一(横浜グランド)
昭和天皇に奉迎文を奉読する有吉忠一(横浜グランド)
写真12 グランドで万歳を行う群衆
グランドで万歳を行う群衆

奉迎式の後、最後に震災記念館を約30分観覧した(写真13)。同館は、震災の惨状と復興のエネルギーを後世に伝えようとしたユニークな博物館で、前年に野毛山に改築されたばかりであった。同館は特に天皇の目を惹いたようで、予定を5分超過するほど、熱心に観覧していたという。

写真13 震災記念館に入る一行
震災記念館に入る一行

一行は帰路につき、横浜駅広場に車が到着して行幸の映像は終わる。

(4)復興祝賀式

映像は、翌24日午後2時より野毛山公園にて行われた復興祝賀式へと移る。紅白幕を廻らした会場入口の雑踏の中を、エプロン姿の給仕係、会場整理の警察官が忙しそうに駆け回り、そこへ数台の車が乗り入れてくる(写真14)。会場には約1万人の人びとが参集した。

写真14 復興祝賀式受付入口
復興祝賀式受付入口

続いて祝賀式が始まり、宮殿型の特設舞台の上で、有吉市長、望月圭介(もちづきけいすけ)(内務大臣)、池田宏(いけだひろし)(神奈川県知事)、イー・ハミルトン・ホルムス(イギリス総領事・在浜領事団代表)(写真15)、平沼市会議長、と祝辞が続く。最後に斎藤實(さいとうまこと)(元朝鮮総督)の発声で横浜市万歳三唱となるが、演台の後方でカメラを回す数人のカメラマンが見える(写真16)。この後、歓喜に沸く園遊会会場へと場面は移り、市内を走る花電車(写真17)で映像は終わる。

写真15 イー・ハミルトン・ホルムス(英国総領事)の祝辞
イー・ハミルトン・ホルムス(英国総領事)の祝辞
写真16 斎藤實(さいとうまこと)の万歳発声 後方にカメラマンが見える
斎藤實(さいとうまこと)の万歳発声 後方にカメラマンが見える
写真17 市内を走る花電車
市内を走る花電車

天皇が行幸した4月23日は、翌昭和5年から復興記念日と定められ、6月2日の開港記念日、9月1日の震災記念日と並び、横浜の人びとの集合的記憶として長く語り継がれることとなった。

(調査研究員 松本洋幸)

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