鵜飼玉川―日本人最初の営業写真家―
東京谷中の墓地に鵜飼玉川(ぎょくせん)の墓碑と写真塚があり、両者の碑文に、玉川が開港直後の横浜でアメリカ人フリーマンから写真術を学び、江戸両国薬研堀(やげんぼり)で開業したという記述がある。また、文久元年(1861)7月出版の「大江戸当盛鼻競・初編」と題する番付に、「写真 玉川三次」とある。「玉川」は号、「三次」(「三二」とも記す)は名前である。これによって、玉川は文久元年中には開業していたと思われるが、このことを疑いの余地なく実証したのは、西村英之氏の「福井写真史考―松平家と写真―」(『(福井市立郷土歴史博物館)研究紀要』6号〈1998年3月〉所収)であった。
西村氏は福井藩の記録を丹念に調査し、文久元年8月19日、前藩主松平春嶽が玉川を招き、藩の政治顧問、横井小楠の肖像写真を撮影させた事実を明らかにされたのである。これによって横井小楠の有名な写真(写真2)が玉川の作品であること、当時玉川が江戸の識者の間ではかなり知られる存在だったことが明らかとなった。
一昨年(平成14年)の7月には、上田はる氏が長野市の豊城直祥(なおあき)氏宅で、両氏の先祖に当たる幕臣三浦秀真の肖像写真(写真5)を発見した。それは玉川の印記のある桐箱に収められており、文久3年10月9日に撮影された旨の墨書がある。撮影者・被撮影者・撮影日時・撮影場所がすべて明確な点で貴重な写真である。この写真は上田夫妻や豊城氏のご厚意により、横浜開港資料館に寄贈された。
写真2
鵜飼玉川「横井小楠像」 文久元年(1861)8月。
横井和子氏・横井小楠記念館保管

写真5
鵜飼玉川「三浦秀真像」 文久3年(1863)10月。
豊城直祥氏寄贈・当館蔵
|