閲覧室から
新聞万華鏡(16)
布川悦五郎と新聞・雑誌
布川悦五郎(1871〜1914)は、武蔵国久良岐郡宿村(現在金沢区)の旧家布川家の次男で、釜利谷学校の教員、六浦荘村収入役、同助役、同村長を歴任した人物です。悦五郎は明治20年(1887)16才の頃から日記を記しており、大正3年までの9冊が残されています。当館では、以前企画展示でこれらの日記をとりあげ、西川武臣「布川悦五郎日記にみる明治時代の横浜」(『横浜開港資料館紀要』17号 平成11年)や『開港のひろば』64号、65号(平成11年)でも紹介しています。
10代、20代の悦五郎の日記には、その時々に関心があった新聞や雑誌についての記載があります。特に雑誌は、具体的な誌名がわかるので、ここでは新聞だけでなく、当時の教員がどのように雑誌を読んでいたのかを見てみたいと思います。
新聞と雑誌
悦五郎は明治18年3月に釜利谷学校中等科を卒業し、明治20年9月から授業生として釜利谷学校で教鞭をとりました。
明治20年、21年の日記には、新聞、教育関係雑誌、教育書を読んだという記載が多く見られます。新聞については、自宅や学校のほか、他家で読んだりしています。この頃には、個人で新聞を購読する家も増えてきたのでしょう。明治21年1月から『東京絵入新聞』を取寄せると書かれていますが、それ以外に読まれていた新聞名についてはわかりません。
『東京絵入新聞』明治14年7月1日
(岡コレクション)

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