企画展
「蓮杖&金幣」展に寄せて
蓮杖の呪縛からの解放
「写真元祖」をめぐって
昭和56年(1981)9月、横浜開港資料館の開館記念特別展示に続く最初の企画展示として「下岡蓮杖と横浜写真」を開催した。その当時、蓮杖は「関東写真元祖」と称されていた。「関東」と限定する理由は、長崎の上野彦馬が文久2年(1862)末に写真館を開設しており、他方、蓮杖の開業の時期がはっきりしなかったので、東と西で元祖の地位を分け合っていたのである。
蓮杖の開業の時期をはっきりさせるためには、蓮杖に写真機を譲ったという謎の人物「ウンシン」の正体を突き止める必要があった。ウンシンの謎解きに蓮杖の開業の時期の解明の鍵があり、それは同時に蓮杖か彦馬か? 日本の営業写真師の元祖を決することに直結すると考えられていたのである。
それから23年、いろいろなことが明らかになった。ウンシンの正体もついに判明した。それはジョン・ウィルソンというアメリカ人のセミプロ・カメラマンであり、1861年(文久元年)末、蓮杖が布に日本の風景・風俗を描いたパノラマを携えてロンドンへ出立、その際蓮杖にカメラ一式を譲ったのである(斎藤多喜夫「ジョン・ウィルソン―判明した『ウンシン』の正体」、『開港のひろば』49号〈1995年8月〉所収)。
蓮杖の有名な回顧談『写真事歴』によると、蓮杖はウィルソンのスタジオをそのまま継承して写真営業を開始したという。そのことを裏付ける史料をルーク・ガルトラン氏が紹介している。それはピトキン(PITKIN,
Thomas C.)という宣教師の見聞記で、1861年11月から翌年2月にかけて横浜を訪れた際のものである。その中に大意次のような記述があった。
「1人の写真家の来日によって、横浜には少なからざる刺激が与えられた。かれは日本を離れるにあたって、写真機材と薬品類を1人の野心的な現地人に与えた。」(Luke
Gartlan, 'A chronology of Baron Raimund von Still fried - Ratenicz',
Japanese Exchange in Art 1850s-1930s, by John Clark, Sydney, 2001)
これがウィルソンと蓮杖に関わるものであることは明らかであろう。蓮杖は文久2年(1862)初頭にはすでに開業していたのである。平成元年に発見された木村政信の肖像写真(写真3、東京都写真美術館所蔵)には、文久2年5月撮影の添書があるので、開業直後の作品と思われる。
以上のような事実が判明したことによって、蓮杖の開業が上野彦馬より早いことが明らかとなった。にもかかわらず、フリーマンや鵜飼玉川の事跡が判明することによって、「元祖」の地位からは転落してしまったのである。
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