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館報「開港のひろば」バックナンバー


資料よもやま話2
1922年、航空写真に見る中華街


 大正11(1922)年に横浜市内を撮影した航空写真がある。その画像はたいへん鮮明で、特定の地域を大きく拡大していくと、個々の建物の様子までわかる。ここでは中華街付近に注目してみたい。

  まずは図1の航空写真と図2の地図をご覧いただきたい。図1の下方が海側で、左に流れる川が中華街と元町との境を流れる堀川である。

  (1)は現中華街大通りで、地図ではMAIBASHICHO、(2)は現関帝廟通りで、地図ではODAWARACHO、(3)は現南門シルクロードで、地図ではHONMURADORIとなっている。この3つの通りと現長安道、地図ではKAGACHOと堀川に囲まれた台形の付近が中華街である。この台形の形は横浜新田の畦道の名残と考えられる。
『横浜市史稿 風俗編』(1932年)には、震災以前の中華街の様子が大意次のように記されている。「最も殷盛な街区は、143番から154番にわたる前橋町通りの両側と、それに続く裏町横町の一廓で、その表通りは赤煉瓦2階造りの商家が並び、その他の横町や露路は、棟割の大小雑多な陋屋(ろうおく)で埋まっている」
確かに上空から見た中華街には、大小の建物がびっしりと軒をつらねている。その中で比較的大きな建物が(4)である。中庭のある長方形の建物だが、これは140番地の大同学校である。現在関帝廟が鎮座している場所だ。大同学校は1897年頃設立された広東系子弟の学校で、幼稚園から中学科までの児童・生徒が通っていた。ちょうどこの年、1922年の2月19日には、開校25周年記念式典が開かれている。

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図1 航空写真・部分(中華街付近)1922年
窪寺宏蔵氏寄贈 横浜開港資料館所蔵
〈写真をクリックすると新しいウィンドウを開き拡大表示します〉

図2 中華街付近地図 The Japan Directory 1907年版より
〈写真をクリックすると新しいウィンドウを開き拡大表示します〉

「開港のひろば」第85号
2004(平成16)年8月4日発行

企画展
蓮杖&金幣
ー横浜写真ことはじめー
企画展
「蓮杖&金幣」展に寄せて
蓮杖の呪縛からの解放
講演会
開国150周年記念講演会・シンポジウム
「ペリー来航―そのとき幕府は、人びとは…」
資料よもやま話1
『禁酒会のおきて』
−南小柿洲吾関係史料から−
資料よもやま話2
1922年、航空写真に見る中華街

中編
後編
閲覧室から
新聞万華鏡(16)
布川悦五郎と新聞・雑誌
資料館だより




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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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