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館報「開港のひろば」バックナンバー


図3は現関帝廟通りから大同学校を撮影した写真である。2階建て校舎の先には、わかりにくいが、黄龍旗と日の丸、「大同学校」の扁額のある正門がみえる。図4は正門を入って校舎の前で撮影した、1920年頃の卒業式の記念写真である。制服姿で卒業証書を手にした生徒と教員が写っている。その背景にある校舎は、外壁は煉瓦、玄関にはポーチがある。航空写真で見ると、玄関のポーチが突き出ているのが確かめられるので、校舎の敷地内の向きがわかる。


図3 大同学校正門図『曼殊大師補遺』1975年より

図4 大同学校卒業式写真 1920年頃 卓玉琴氏所蔵・横濱中華学院提供

   大同学校の近く、142番地には、上海系子弟の中華学校もあった。どの建物かは判別できないが、現横濱中華学院が所在するあたりだろう。

   さて、大同学校の右隣にはそれぞれ中庭が2つある建物が2つ並んでいる。上空から見てこのような形の建物は他に見あたらない。これは関帝廟と中華会館である。

   図5は1910年頃の関帝廟であるが、煉瓦造りの廟と中庭が写っている。航空写真によって、関帝廟の正面が現在とは異なり、図2の地図ではYEBISMACHI(現中山道)に向いていたことがわかる。

   関帝廟については、幕末・明治初年にかけて初代の廟が建てられ、明治19(1886)年に境域を拡張し、明治24(1891)年にさらに大拡張を行った。「煉瓦の外壁、門牆堂宇(もんしょうどうう)の荘厳宏麗、あたかも一城廓のごとき観をていした」と『横浜市史稿』にも描かれている。現在もこの場所には、関帝廟・中華会館が所在する。

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図5 関東大震災以前の関帝廟 『横浜市史稿』風俗篇より

「開港のひろば」第85号
2004(平成16)年8月4日発行

企画展
蓮杖&金幣
ー横浜写真ことはじめー
企画展
「蓮杖&金幣」展に寄せて
蓮杖の呪縛からの解放
講演会
開国150周年記念講演会・シンポジウム
「ペリー来航―そのとき幕府は、人びとは…」
資料よもやま話1
『禁酒会のおきて』
−南小柿洲吾関係史料から−
資料よもやま話2
1922年、航空写真に見る中華街

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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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