火災の発生
陰暦では年末の安政6年12月11日、陽暦では新年早々の1860年1月3日、外国人居住地でかなりの規模の火災が発生した。この火災は、現場に居合わせたイギリス領事館付通訳ブレックマンによって、次のように報告されている(F.O.262. Vol. 20. F.Blekman, interpreter, to Alcock, 1860.1.4)。
午後1時頃、ブレックマンは神奈川から横浜へ向かう船に乗っていた。その時、外国人居住地から白い煙が上がり、それが炎を含む濃い黒煙に変わるのが見えた。かれは船頭を急がせて現場に急行した。火元はトーレル(Thorel, Charles)とカーター(Carter, W.H.)の倉庫、それがデコーニング(de Coningh, C.T.A.)の草葺納屋に転火して燃え拡がったのである。
日本人は官民挙げて消火に尽力した。横浜村は言うまでもなく、海を越えて神奈川宿からも消火に駆けつけた。消火にあたった日本人にも被害があったようである。怪我をした日本人に対しては、公使団から義援の申し出があった。
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