石垣綾子(マツイ・ハル)(1903〜96)
マツイ・ハル(Restless waveのカバーから)

雑誌社勤務などの後、1926年に23歳で渡米した。画家の石垣栄太郎と結婚し、日米開戦後もアメリカにとどまって、夫妻で日本軍国主義を批判した。40年にニューヨークでマツイ・ハルというペンネームで出版した自伝、Restless wave(『憩いなき波』)[ブラウン文庫 2181]は、『ニューヨーク・タイムズ』や『ヘラルド・トリビューン』などに書評が載り、また日米開戦後は、日本を知るための推薦図書としてアメリカで広く読まれた。
石垣は戦時中、ブラウンと同じ戦時情報局(OWI)ニューヨーク事務所につとめ、「兵隊用の小さな日米会話やその他の字典の編纂をやっていた」(石垣著『二十五年目の日本』[ブラウン文庫 2622])。戦後すぐに日本への帰国を望んだ石垣は、国務省日本課のジョン・エマーソンの勧めで、GHQでのポジションをえるため便宜をはかってくれるように東京のブラウンに依頼文を出すなどした(『石垣綾子日記 上』)が、うまくいかず、ようやく昭和26年6月、25年ぶりに帰国した。
早くも同年11月に出版したのが、『二十五年目の日本』である。産児制限論者のサンガー夫人やパール・バックらとの交流、長い滞米生活で見聞したアメリカの実情などを記した同書は、戦後日本で、女性問題を中心に評論家として活躍していく石垣の第一歩となった。
ブラウン文庫に収められている同書は、同年12月にブラウンへ献呈されたもので、英文の献辞がある。
|