関東大震災とその影響
大正12年(1923)9月の関東大震災は、横浜の劇場・映画館をことごとく壊滅させた。横浜の座付役者は活動の場を失い、旅芝居を余儀なくされた。映画館の復興は早かった。横浜館・敷島館は12月に、松竹キネマの傘下にあったオデヲン座と横浜角力(すもう)常設館は(前者は六崎市之介の経営に移り)、翌13年1月から再開した。
喜楽座の復興は3月であるが、松竹傘下の横浜座と横浜劇場は復興しなかった。松竹は東京の総本山である歌舞伎座の再興を第一課題としており、横浜に劇場をふたたび持つことはなかった。他方、松竹の歌舞伎役者の掌握は進展しており、横浜の劇場が大芝居を興行することは震災後一度もなかった。喜楽座は新派劇を中心に興行したが、日活との結びつきを深めて、昭和5年(1930)には映画常設館に転じ、10年には横浜日活館となった。
喜楽座の連鎖劇番付(部分) 大正6年(1917)10月 佐藤泰平氏寄贈 活動写真「罪なき人」と、演劇「白菊金五郎」「心中天網島」の連続劇

|