資料よもやま話2
フランク・W・チニーの冒険
−開港当初の日米貿易−
フランク・W・チニーの書簡集(右)と叔父フランク・チニーの伝記(左)
1859年1月、横浜開港を半年後にひかえて開港場建設が焦眉の急となっていたころ、アメリカ東部コネティカット州ハートフォードからひとりの青年が中国へ向けて旅立った。チニー・ブラザーズ・シルク・マニュファクチャリング社のフランク・W・チニーである。彼はヨーロッパを経て3カ月後に上海に到着し、以後2年間、上海を拠点に生糸の買い入れやアメリカ製品の売り込みに携わることになる。
このとき故郷の家族や取引相手と交わした書簡が、孫娘によって1冊の私家版にまとめられている(A.
C. Crocker, Frank Woodridge Cheney: Two Years in China and Japan,
1859-1861 『フランク・W・チニーの中国・日本滞在記 1859〜1861年』、1970年刊)。ここにその一端を紹介しよう。
チニー兄弟と絹織物産業
チニー家はもともとニューイングランドの旧家で、フランク・Wの父の世代(8男1女)はコネティカット州マンチェスターの農家で育った。1838年に兄弟が中心となって絹紡績工場(シルク・ミル)を設立し、これがのちにチニー・ブラザーズ・シルク・マニュファクチャリング社と改名してアメリカ絹業史に名を残すことになる。
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