『新編武藏風土記稿』巻首例義によれば、久良岐郡については、1810年に一旦成稿し、1827(文政10)年に訂正増補版が編纂されたという。
「新編武藏風土記」の編纂にあたり、幕府は、史書・地理書を広く収集・調査すると同時に、各地へ出役を派遣して出張調査を行った。その際出役は、村方に調査結果の書上を提出させた。『横浜市史』編纂のために作成された写本のなかに「文政六未年御調ニ付村方地名書上帳」(『堀之内村並木氏文書一』横浜開港資料館蔵、市史稿写本)がある。これは、久良岐郡堀之内村の名主勘左衛門と年寄権左衛門が、地誌御調御用御出役の内山孝之助・朝岡伝右衛門に提出した地誌書上帳である。この写本より、1823(文政6)年に、久良岐郡内で訂正増補版作成のための調査が行われていたことが分かる。
地誌御用出役の朝岡は、久良岐郡の地誌書上帳を取りまとめ、「清書校合本」を作成したのであろうか。「清書校合本」の表紙に、調方手伝の小笠原重信とともに、朝岡と思われる名をみることができる。
石井氏は、前掲書のなかで、内山・朝岡による調査をもとに作成された「清書校合本」を、表紙の右下にある頭取三島政行・松崎純庸・間宮士信の3名が校合した。校合は、文中の書込より1827年9月に終了したことが判明する。校合の済んだ本資料は、総裁林衡の一覧を経て、表紙右上に名の記された水野勝弼・金井世範により清書された。清書校合の後、本資料は処分されたが、聖堂教官野村篁園の文庫に収蔵された、と述べておられる。
『新編武藏風土記稿』は、武藏国における近世後期の村況を知ることのできる基本資料であるが、その編纂の経緯については、未だ不明の点が多い。そして管見の限り、「新編武藏風土記」編纂過程の清書校合本として所在の明らかな資料は、本資料のみである。本資料の活用により、石井氏が明らかにされた「新編武蔵風土記」編纂過程の一端のみならず、幕府の地誌編纂事業についても、研究のより一層の進展が期待できると考える。なお本資料は複製版により、閲覧室でご利用いただけます。
貴重な資料の展示・公開をご許可下さった、所蔵者の石井タマ氏・全氏にお礼を申し上げます。
(石崎康子)
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