ベルチャーの航海記
(6) E. Belcher, Narrative of a voyage round the world, performed in Her Majesty's Ship Sulphur, during the years 1836-1842. 1843. [M. V. 15-16]
ベルチャーは、前出のビーチーに従ってブロッサム号の測量航海に参加し、測量技術を修めたイギリス海軍士官である。その後、旧来の測量士官養成システムに飽き足らなかったベルチャーは、1835年、新しい水路測量に関する本を刊行し、六分儀、経緯儀、クロノメータなどを用いて天体観測と三角測量を組み合わせた測量を、天文学者ではなく測量士官自身がおこなうことを標準化した。同本はまた、たとえば敵港を海上封鎖しながら三角測量をおこなうところまで論じるなど、きわめて実践的な測量教本であった。
1836〜42年、ベルチャーはサルファー号に乗船して世界周航調査をおこなったが、その途中の40〜41年、アヘン戦争参加命令を受け、攻撃艦隊の水先案内、あるいは部隊上陸地点確定のための測量を自らおこなうなどして、イギリス海軍の勝利に貢献した。
(6)は1843年に刊行した、この時の航海記である。アヘン戦争の戦闘場面が、世界各国の風景や海図に混じって収められている。
その後、ベルチャーはサマラング号Samarangで1843、45年に琉球と長崎に来航し測量をおこなった。45年の長崎来航時、伊王島に許可されて上陸したベルチャーは、長崎奉行の測量拒絶を無視して天測をおこない、同島の経緯度を観測した。また日本側の目をごまかして小艇を出し、測深もおこなった。この時の航海記(Narrative of the voyage of H.M.S. Samarang during the years 1843-1846) は1848年に公刊されたが、残念ながら当館では所蔵していない。(以上のベルチャーに関する記述は、前出の横山伊徳「19世紀日本近海測量について」に拠った。)
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