(1B)上の画の裏焼き

そこで浮上したのが裏焼き問題である。(4)の写真原版はブレイディ撮影、米国議会図書館の所蔵であるが、T. Roscoe and F. Freedman, Picture History of the U.S. Navy(1956)という本には誤って裏焼きされているので、それを複写するときには、意図的に裏焼きしないと正しい画像が得られない。
(4)プレィディ撮影 米国議会図書館蔵

そんな話をしながら(1A)を見ると、今まで何の疑いもなく利用してきた画像に突然疑問がわいた。服の打合せが普通と逆なのである。ひょっとしたらこの画像は左右逆、つまり裏焼き状態なのではないだろうか。
この肖像画は『絵入りロンドン・ニュース』1853年5月7日号の日本遠征の記事に掲載されたもので、キャプションには「ダゲレオタイプから」とある。
ペリー来航当時、写真技術はダゲレオタイプ(銀板写真)が一般的な時代だった。銀板写真では、感光板に定着した画像が左右逆像になり、裏焼きのようになる。たとえば、武士の写真もそのまま撮ると、刀を右に差し、着物を左前に着た姿になってしまう。正常な姿に写るようにするには、わざと打合せを逆にし、刀を右に差し替えておかなければならない。
ではペリーの他の肖像はどうなっているのだろうか。
図版(2)は『ハーパーズ・ニュー・マンスリー・マガジン』1856年3月号のペリー。「ブレイディ撮影の写真から」とある。服の打合せは通常どおりだが、髪は右分け。
(2)Harper's New Monthly Magazine, 1856年3月号から

図版(3)はハイネによる日本遠征石版画集Graphic Scenes in the Japan Expedition(1856年刊)の1枚。やはりダゲレオタイプをもとに石版画にしたもの。髪は左分け、服の打合せは普通どおり。
(3)Graphic Scence in the Japan Expedition 1856年刊

図版(5)はJ.B.アーヴィング・ジュニアによる油絵で、ペリー没後の1868年の作(米国海軍兵学校博物館蔵、当館刊『ペリー来航関係資料図録』所収)。服の打合せは判然としないが、全体に(4)と酷似している。
(5)アーヴィング画、米国海軍兵学校博物館蔵、1868年

ちなみに(1A)を裏焼きにしてみたのが(1B)である。服の打合せや髪型はこちらの方が他の肖像画と類似性が高いように思われる。
ペリー来航から少し後になるが、万延元年遣米使節の通訳見習として渡米したトミーこと立石斧次郎の肖像写真が米国国立公文書館に残っている。その写真(おそらく湿板写真)をみると正常な画像なのだが、この写真からおこしたとみられる『ハーパーズ・ウィークリー』掲載のトミー像は、完全に左右逆像となっているのである(1860年6月23日号)。
『絵入りロンドン・ニュース』のペリー像は、ダゲレオタイプの逆像がそのまま忠実に版画で再現されてしまったのではないだろうか、というのが現時点での推測である。
なお、第1展示室の改修は斎藤多喜夫・佐藤孝・上田由美・伊藤泉美・伊藤久子が担当した。
(伊藤久子)
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