クルーゼンシュテルンの世界周航記
(2) A.J. von Krusenstern, Reise um die Welt in den Jahren 1803, 1804, 1805 und 1806. 1810-12. [L. VIII. 10-12]
(3) A.I. de Krusenstern, Voyage autour du monde, fait dans les annés 1803, 1804, 1805 et 1806. 1821.[M. IV. 20-21, O. III. 27]
ロシアの軍人、クルーゼンシュテルンが1803〜06年におこなった世界一周の調査探検記。クルーゼンシュテルンは太平洋・インド洋・大西洋の三大洋をめぐり、ロシア初の世界周航に成功した。日本には1804年、遣日使節レザノフを伴って長崎に入港したが、通商開始をもとめるレザノフと幕府との交渉は不成功におわった。その後、クルーゼンシュテルンは北方に向かい、カムチャッカ・千島・サハリンを調査した。この北方海域の調査は高い評価を受けた。
(2)のドイツ語版(全3巻)は、1810〜12年に、ロシア語版と同時にセント・ペテルスブルグで刊行された原本である。同書はオランダ・フランス(3)・スウェーデン・イタリア・英語などの各国語に翻訳され、ヨーロッパ各国に流布した。
日本でもオランダ語版をもとに翻訳がおこなわれた。蘭学者で幕府天文台翻訳方青地林宗訳・天文方高橋景保校訂『奉使日本紀行』(抄訳)がそれである。しかし1828年、高橋景保がオランダ商館付医官、シーボルトへこの世界周航記などの洋書と交換に国禁の日本地図を与えたことが発覚し、高橋は獄死、シーボルトは国外追放となった。
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