横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第140号
2018(平成30)年4月27日発行

表紙画像

資料よもやま話
100年前の駐横浜ベルギー総領事
C.バスタン旧蔵資料

バスタン夫妻が出演したアマチュア演劇風景

写真帳には夫妻の社交生活を伝える写真も多い。横浜や東京に暮らす欧米外国人たちによるアマチュア演劇上演の図3の写真もその中の一枚だ。文化活動を通じた外国人たちの交流のようすを垣間見ることができる。こういった演劇活動は日本の演劇誌に写真入りで紹介され、バスタンはその掲載誌をベルギーに持ち帰ってもいる。

図3 バスタン夫妻が出演したアマチュア演劇風景
「写真アルバム4」から
図3 バスタン夫妻が出演したアマチュア演劇風景「写真アルバム4」から

バスタン夫妻歓送会の晩餐メニュー

『横浜貿易新報』(大正6年11月30日付)は「白国領事栄転」として次のようにバスタンの離日を報じた。

横浜駐在領事中の最古参者たる白耳義[ベルギー]総領事シャルル、バスタン氏は今回本国外務省詰を命ぜられ戦後経営政策調査の重任に当る事となり来る十二月十四日当港出帆の蘭船ゴエントアー号にて帰国すべしと

第一次世界大戦終結後のベルギーの復興に備えて、本国に帰任することになったとある。では第一次大戦中、バスタンは日本国内でどのような活動をしていたのだろうか。

1914(大正3)年7月、ヨーロッパで第一次世界大戦が勃発し、同年8月4日、ドイツ軍が中立国ベルギーに侵攻してリエージュやブリュッセルを占領していった。日本はイギリスをはじめとする連合国側に付き、日本国内ではヨーロッパの戦況やベルギー国内の悲惨な情況が報じられ、その論調はベルギーに同情的であった。バスタンも駐日ベルギー公使デラ・ファイユ della Faille とともにベルギーの惨状やドイツ軍の残虐行為を記した本を出版して、その論調を助長した。バスタンは1915年、『白耳義人の観たる欧州戦争』を著し、またベルギーで出版されたピエール・ノトン著の翻訳、『鮮血之白耳義』という題名のパンフレットを横浜総領事館から刊行した(前掲『日本・ベルギー関係史』288〜289頁)。

離日を控えたバスタン夫妻のために1917年12月7日、横浜市伊勢町(現西区紅葉ヶ丘)にあった神奈川県知事官邸で有吉忠一知事夫妻主催の歓送会が開かれた。図4はその時の晩餐メニューである。ベルギーと日本の国旗や紅白の飾り紐があしらわれている。

図4 バスタン夫妻歓送会の晩餐メニュー
1917年12月7日
図4 バスタン夫妻歓送会の晩餐メニュー 1917年12月7日

なお有吉はその後、関東大震災復興期の横浜市長や、横浜商工会議所会頭をつとめ、横浜の歴史にとって重要な人物となった。

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