HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第140号 資料よもやま話 100年前の駐横浜ベルギー総領事C.バスタン旧蔵資料〈2〉
「開港のひろば」第140号
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資料よもやま話
100年前の駐横浜ベルギー総領事
C.バスタン旧蔵資料
領事認可状
1907年の横浜着任時、レオポルド2世からの委任状を日本側に提出し、図1の認可状を受け取った。認可状とは他国のある人を領事として受け入れることを認める国家の文書である。この認可状には親署と「大日本国璽」、外務大臣林董(はやし ただす)の副署が見える。
バスタンはその後、1910(明治43)年2月12日付で総領事に就き、あらためてアルベール1世からの委任状を提出したが、この時の認可状も残されていて、外務大臣小村寿太郎の副署がある。なお、この総領事認可状には、バスタンの管轄地が次のように明記されている。「神奈川、新潟、埼玉、群馬、千葉、茨城、栃木、愛知、静岡、山梨、岐阜、長野、宮城、福島、岩手、青森、山形、秋田、福井、石川、富山の諸県、東京府、北海道及樺太を管轄」。横浜以外のベルギーの領事館は大阪、神戸、長崎に置かれており、横浜総領事バスタンは東日本以北の広域を担当することになった。
この2通の認可状はたいへん珍しい資料である。また、どちらにもフランス語訳が付されている。
バスタン一家の家族写真
バスタン家の横浜時代の写真帳は4冊残っている。横浜時代は妻ルイーズ(1882年生まれ)と長男アルマン(1904年生まれ)、長女マリア(1906年生まれ)との4人家族だった。一家は山手46番地に住み、その暮らしぶりを写した写真が多数収められている。
図2の写真は横浜着任間もない頃のものだろう。写真帳にはまた、1909(明治42)年の開港50年祭で賑わう街のようすをとらえた多数の写真も収められている。