横浜開港資料館

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「開港のひろば」第140号
2018(平成30)年4月27日発行

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資料よもやま話
100年前の駐横浜ベルギー総領事
C.バスタン旧蔵資料

日本とベルギーの正式な外交関係は1866(慶応2)年の修好通商条約締結に始まる。最初の国、アメリカから数えて第9番目の条約締結国であった。条約締結前に、フランス出身のベルギー貴族、モンブランCharles de Montblanc が幕府の遣欧使節や薩摩藩留学生に接触し、1865年にブリュッセルで薩摩藩とベルギーとの貿易商社設立契約書を交わすことに成功したことがあったが、結局、実現しなかった。

明治4〜6(1871〜73)年、岩倉具視を特命全権大使とする大使節団が欧米に派遣された。報告書『米欧回覧実記』に拠ると、日本をベルギーやオランダといった「小国」に重ね合わせ、英米仏といった「大国」ではなくこれら「小国」に「模範国」の可能性を見て、つよい印象を受けている(磯見辰典・黒沢文貴・櫻井良樹『日本・ベルギー関係史』白水社、1989年、100〜108頁/『米欧回覧実記 四』所収田中彰解説、岩波書店、1985年)。

しかし、その後ベルギーは日本の「模範国」となることはなく、日本はアメリカやイギリス、フランス、ドイツといった欧米「大国」との関係をつよめていった。

今回紹介する資料の旧蔵者、シャルル・バスタン Charles Bastin(1876〜1965年)は、1907(明治40)年から1917(大正6)年までの10年間、横浜でベルギー領事、つづいて総領事として外交官生活をおくった人物である。一時期はオランダ総領事も兼務し、また後に横浜領事団の団長も務めている。

この度、ご子孫のデニス・ジョーンズさん Ms. Denise Jones(ベルギーのブリュッセル在住)より横浜時代の資料の寄贈を受けた。ジョーンズさんはバスタンの孫娘にあたる。資料は、領事・総領事認可状や、写真帳、晩餐会のメニュー、バスタン夫妻をとりあげた新聞記事、ちりめん本など合計23件である。

バスタンは、1917年に帰国して本省勤務となり、1921(大正10)年、皇太子時代の昭和天皇がベルギーを訪問した際には接待役のひとりに選ばれている。当時、バスタンは外務省極東課長であった(宮内庁『昭和天皇実録 第三』2015年、290頁)。

その後、スペインのバルセロナやロンドン勤務となり、1946年に外交官生活を終えた(ジョーンズさんのご教示に拠る)。

以下、おもな寄贈資料を紹介しながら、バスタンの日本での足跡をたどってみよう。

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