横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第140号
2018(平成30)年4月27日発行

表紙画像

企画展
長崎で撮影された
William Gamble の写真 発見!

上野彦馬写真館の写真二点

図1は、有名なフルベッキとその娘エマ、そして佐賀藩の英学塾である致遠館(ちえんかん)の生徒たち44人の写真である。当館の「オール氏旧蔵写真帳」に収録されているこの写真は、原板から焼き付けた大判のオリジナル写真である。この写真の撮影者は、写真家上野彦馬で、撮影場所は長崎の上野の自宅に慶応3年から明治元年にかけて建設された写場であることが明らかにされている。また撮影時期は、フルベッキが東京に赴任することになり、長崎を離れる明治元年末から明治2年までであろうといわれている。この写真は、フルベッキや写真史に関する書籍によく掲載されており、ご覧になった方も多いであろう。

図1 フルベッキと娘エマ、致遠館(ちえんかん)の生徒たち
当館所蔵 オール氏旧蔵写真帳所収
図1 フルベッキと娘エマ、致遠館(ちえんかん)の生徒たち 当館所蔵 オール氏旧蔵写真帳所収

一方図2は、LCのギャンブル・コレクションに所蔵されている写真で、裏面に「ギャンブルとサムライ」(William Gamble and Samurai.)と記されている(William Gamble Col-lection Catalogue File, No.372-(2), “Photographs of Japanese”所収の一枚)とある。ギャンブルが長崎を訪れた1870年当時、写真は密着で焼き付けるため、写真原板(ネガ)と同じサイズの紙焼き写真しか作れなかった。そのため手札判のような小型の写真が必要な場合は、大判写真を小型のカメラで複写して、小型の写真原板を作る必要があった(註(3))。この写真がまさに手札判の複写写真である(大きさは手札判63×102o)。複写された写真部分は、枠に囲まれ更に小さくなっている。写真部分のみを拡大したものが、図3である。

図2 ウィリアム・ギャンブルとサムライ
米国議会図書館所蔵 ウィリアム・ギャンブル コレクション
図2 ウィリアム・ギャンブルとサムライ 米国議会図書館所蔵 ウィリアム・ギャンブル コレクション
図3 図2の複写した写真部分を切り取り拡大
米国議会図書館所蔵 ウィリアム・ギャンブル コレクション
図3 図2の複写した写真部分を切り取り拡大 米国議会図書館所蔵 ウィリアム・ギャンブル コレクション

複製写真であり、画質は原板の紙焼きに比べ落ちるが、前列に5名の日本人、中列に1人の外国人と3人の日本人、後列に9名の日本人が写っている。図4は、同じくLC所蔵のギャンブルの肖像写真であるが、比べてみると、図3の外国人がギャンブルであることが分かる。

図4 ウィリアム・ギャンブル
国議会図書館所蔵 ウィリアム・ギャンブル コレクション(筆者撮影)
図4 ウィリアム・ギャンブル 米国議会図書館所蔵 ウィリアム・ギャンブル コレクション(筆者撮影)

写真に写る日本人を見てみると、前列の中央で刀を立てている人物は本木昌造、その左隣は平野富二(ひらの とみじ)に見える。ギャンブルを囲み、長崎製鉄所活版印刷局の職員が写した記念写真と考えてよいであろう(註(4))。

図1図3の写場を比べてみていただきたい。色の濃い床板の位置や右端の被写体が座るステージの角の形など、ほぼ同じであることから、この写真は長崎の上野彦馬の写場で撮影された写真と考えてよいであろう。

  • 註(3)明治初頭の写真技術については、斎藤多喜夫氏のご教示を得た。
  • 註(4)長崎の上野彦馬写真館撮影の写真については、姫野順一氏にご教示を得た。

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