横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第140号
2018(平成30)年4月27日発行

表紙画像

企画展
長崎で撮影された
William Gamble の写真 発見!

ギャンブルの長崎滞在関係資料

ギャンブルが長崎に約4ヶ月滞在し、日本で技術伝習を行なったことは、北米メソジスト監督教会の宣教師アレン(Young John Allen)が1868年9月に上海で刊行した漢字雑誌『教会新報(The Church News)』に記されている。『教会新報』第52号(1869年9月11日刊)には、ギャンブルが日本の一役人の要請により西暦の11月に日本へ4ヶ月行くことになったとある。また同誌第82号(1870年4月16日刊)には、ギャンブルがすでに日本から上海に戻ってきたことが記されている(註(2))。

しかし長崎での伝習について、ギャンブル自身は記してはおらず、また講習を受けた本木やその部下たちの記録も、現在のところ発見されていない。『太政類典』(だじょうるいてん)には、明治4(1871)年4月、長崎製鉄所に残された印刷機器を東京に移管する際に作成された「長崎製鉄所附属新聞局ノ活字器械処分」と題する文書が収録されている。そこに「4年4月長崎県申立、弁官宛、当県製鉄所附属新聞局ノ儀ハ製鉄所御委任ノ節亜人ガンブル滞崎中活字鋳造法等其筋ノ者ヘ伝習為致方(後略)」とあるが、この資料は、ギャンブル(ガンブル)の長崎滞在に関する数少ない記録の1つである。

  • 註(2)小宮山博史「活字書体−中国からの導入と改刻」『日本の近代活字本木昌造とその周辺』 同書編纂委員会編 NPO法人近代印刷活字文化保存会 2003年

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