横浜開港資料館

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「開港のひろば」第114号
2011(平成23)年10月26日発行

表紙画像

企画展
近代日本のナビゲーター

堀川沿いのピーターソン鉄工所

元町に沿って流れる堀川は、開港後、治安上の必要から人工的に開削された運河で、居留地側には外国人が経営する造船機械工場が建ち並んだ。比較的長く経営を保ったものとして、ウィットフィールド&ドーソンやH.クック造船所などがあげられるが、小さな工場の興廃もあった。そのなかの一つに、明治26(1893)年頃創業と、後発の位置にあるが、スウェーデン人のピーターソン鉄工所がある。

ピーターソン鉄工所内部ではたらく日本人労働者
明治30(1897)年 故荒木セルマ氏寄贈・当館蔵
ピーターソン鉄工所内部ではたらく日本人労働者 明治30(1897)年 故荒木セルマ氏寄贈・当館蔵

表紙上段の巨大な鉄球の写真は、ピーターソン鉄工所で製造されて堀川から出荷される場面を撮したものである。鉄球によりそう3人の中央がピーターソン氏と思われる。この鉄球は、綿花から火薬を製造する際に、ソーダ水とともに綿花を煮沸して油分を除去する「球形脱脂機」と考えられる(東京大学文学部准教授鈴木淳氏のご教示による)。

この写真を含むピーターソン鉄工所関係アルバムには、19世紀末〜20世紀初頭の写真が貼られている。寄贈者は、明治29(1896)年生まれの荒木セルマさん。ピーターソン氏と妻荒木モトさんとの間の娘で、10才でスウェーデンに渡り、昭和52(1977)年にその生涯を閉じた。資料は昭和53年に評論家の秋山ちえ子氏をつうじて横浜市に寄贈され、その後56年に開館した当館が引き継いだ。

ピーターソン鉄工所では最盛期には300人近くの日本人が働いていた。写真の中には、ボイラーの建造に取り組む笑顔の日本人が写っている。その他注目すべき写真としては、ライジングサン石油(現在の昭和シエル石油)のタンクがある。ライジングサン石油は、横浜のサミュエル・サミュエル商会が灯油のバラ売りで米スタンダード石油の独占に対抗した石油事業を、明治33(1900)年に独立させた会社である。製品を貯蔵する石油タンクはその象徴で、横浜ではサミュエル時代から平沼に置かれていた。写真のタンクはどこにあったものか、目下のところ把握できていないが、この巨大な施設が横浜ピーターソン鉄工所の技術で造られたものであることは、気密性をもつボイラーや「球形脱脂機」の製造から推測できる。巨大なタンクの出現を20世紀を迎えた地元民はどのような驚きで見上げたのだろうか。

ライジングサン石油の油槽所 1900年初頭
故荒木セルマ氏寄贈・当館蔵
ライジングサン石油の油槽所 1900年初頭 故荒木セルマ氏寄贈・当館蔵

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