横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第114号
2011(平成23)年10月26日発行

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資料よもやま話2
先祖探しと電話帳

近年家族の歴史や先祖探しに興味を持つ人が多いという。閲覧室にも、遠く県外や海外から、横浜に暮らした先祖の住所や軌跡を調べに来られる方が少なくない。当館では、平成6(1994)年に『横浜関係人物検索図書目録』(以下『目録』)を刊行し、横浜で活動した人々を調べる手がかりを提供している。

そして先祖探しの際に、頻繁に活用するのが電話帳である。今でこそ電話はどの家庭にもあるが、明治・大正期であれば、ごく限られた商店や個人しか電話を持たなかった。そのため電話帳で調べられる範囲は限られるが、電話番号のほかに商店や学校の代表者名、所在地を知ることができる。

『目録』には、当館のほか国立国会図書館・神奈川県立図書館・横浜市中央図書館・横浜市史資料室などが所蔵する資料についても所在調査を行い、全35冊の電話帳を収録している。そして『目録』刊行から現在までに、当館では複製を含め新たに14冊の電話帳を入手した。書誌情報はWeb-OPACで公開しているが、ここではそれら電話帳((1)(14))を紹介したい(請求番号は【 】で示す)。

電話帳の誕生

日本で公衆通信として電話交換業務が開始されたのは、東京・横浜両市で197名の加入者に対して電話交換業務が開始された明治23(1890)年のことであった。同年には一枚ものの「東京横浜電話加入者人名表」が出されている。

日清・日露両戦後に政府の2度にわたる電話拡張計画が実施され、加入者数は増加した。神奈川県下の加入者は明治39(1906)年に2,000名になったという。

加入者が増加すると、当初は一枚ものであった電話番号表も冊子体になった。当館には明治25(1892)年9月に東京電話交換局が刊行した『東京横浜電話交換加入者名簿』(写真1【岡コレクション―刊本ト3】『目録』に収録)があり、電話交換業務の実施から2年後には、冊子体の加入者名簿が作成されていたことがわかる。明治31(1898)年には、電話帳の名称を「電話番号簿」と統一し、東京・大阪・京都・横浜・神戸・名古屋・堺の各電話交換局を電話番号簿調製局とすることや、電話番号簿の様式も定められた。

写真1
『東京横浜電話交換加入者名簿』
 1892年 岡コレクション
写真1 『東京横浜電話交換加入者名簿』 1892年 岡コレクション

横浜郵便局は、明治38(1905)年から大正7(1918)年まで電話業務を兼掌していた。(1)(2)は、その間に横浜郵便局が刊行した電話帳である。(1)は、長距離電話加入者の電話番号および加入者名とその住所、職業・業種を記している。横浜の部(加入者数693)は加入者名のイロハ順に、三島局以下は、加入者を電話番号順に記している。掲載者数は1,108である。

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