横浜開港資料館

HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第114号

館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第114号
2011(平成23)年10月26日発行

表紙画像

特別資料コーナー
職場の運動会―横浜電線製造株式会社秋季運動会

横浜電線製造株式会社秋季運動会
横浜電線製造株式会社秋季運動会

運動会といえば、学校運動会が思い浮かぶが、明治時代の後半には、商家や工場で働く人々のために、職場単位で同様の行事が行なわれるようになった。運動会といっても、遠足を兼ねて会場に行き、運動競技のほかに余興を楽しむ、レクリエーションとしてのものが多かった。

紹介する図版もそのようなものの一つで、明治43(1910)年11月9日に羽田運動場で行われた、横浜電線製造株式会社の秋季運動会を記念して発行された絵はがきセットの1枚である。

横浜電線製造株式会社は、電気事業が盛んになるに伴い、外国からの輸入に頼らず国産の電線を供給するという目的で、明治29(1896)年に木村利右衛門を社長として設立された。常務取締役に大西正雄がおり、この時の運動会は、建立された大西の銅像の除幕式を兼ねたものだった。

会場の羽田運動場は、明治42年春に、乗客の誘致をはかるため、京浜電気鉄道が羽田の沖合いの干拓地に開設した施設で、当初は野球場とテニスコートが造られ、運動会にも良く利用されていた。

『横浜貿易新報』に掲載された、運動会の予告記事によれば、横浜電線製造株式会社の男女職工600余名が、当日8時半に羽田の運動会場に向かい運動会を開催し、余興に落語、剣舞、浪花節、手踊、茶番等を行う予定であると書かれている。

絵はがきは藤井写真館(平沼町4丁目)が発行したもので、袋には7枚1組定価12銭と記載されている。別に、大西の銅像の絵はがきが加わっている。3枚は和服姿の女子工員たちが整列しているところで、そのうち2枚は銅像の除幕式の主役や来賓を待っているのか、日の丸の旗を手にしている。残りの1枚は、運動会場へ移動しようとするような場面で、傍らに大太鼓などの楽器を持つ人々が見られる。あとの4枚が、羽田運動場での運動会風景である。運動場に高いポールを立てて、そこから四方に万国旗を張り巡らせた中で競技が行われ、まわりを見物人が囲んでいる。図版は男子工員が徒競走をしている場面である。ほかには、提灯を使った競技で、女子工員たちが同じ方向を向いてしゃがみ、中の蝋燭に火をつけようとしている様子が撮影されているものも有る。

600人もの工員たちは、運動会の後も落語などの余興で、秋の一日を楽しんだことだろう。

(上田由美)

このページのトップへ戻る▲