横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第114号
2011(平成23)年10月26日発行

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資料よもやま話2
先祖探しと電話帳

横浜局から通話が可能な通話対地は、明治23年の電話創業時には東京のみであったが、明治33(1900)年には名古屋・京都・神戸・大津・津・大阪の六局と通話が可能となった。そして明治40(1907)年以降急速に増加し、同年には藤沢・茅ヶ崎・江尻・清水・藤枝・沼津など30局の通話対地が加わり、翌41(1908)年には、戸塚・焼津・三島など36局が加わった。(1)は、明治40年・41年に横浜の市外電話区域として加わった電話局のうち、東海道沿いの電話局8局の情報を収録し、刊行された電話帳である。

(2)は、(1)の追加であると考えられるが、長距離用だけではなく普通電話加入者も記載されている。内容は、横浜および(1)にある三島など8局のほか葉山・鎌倉・国府津・熱海・小田原・川崎・戸塚・藤沢・浦賀・茅ヶ崎・片瀬の11局も含まれている。632人の加入者が記されている。

大正7年7月、横浜中央電話局が誕生し、郵便局の兼掌として行われてきた電話サービスが、中央電話局の業務として独立した。またこの時長者町分局も開設した。(3)から(5)は、横浜中央電話局が刊行した電話番号簿で、横浜中央電話局と長者町分局の加入者について、加入者名のアイウエオ順に、電話番号と「電話設置場所」が記されている。(6)(7)には新たに神奈川局も加わっている。

電話番号簿は、広告効果も高かったため、広告の掲載料を徴収し、電話局以外の個人が商売として刊行する場合もあった。(8)は横浜通信社が刊行した電話帳で、表紙裏を含め前半部に39頁、冊子半ばに9頁、後半部に24頁の広告が収録されている。「発刊に就て」によると、大都市の電話番号簿には、「全然加入者職業の記入なき為め、甚しく不便を感」じ、また電話番号簿は、市内加入者のみを記載した「大都市電話番号簿」、二等局とこれに準ずる三等局区内加入者を記載した「普通電話番号簿」、三等局区内の加入者を記載した「特設電話番号簿」に三分されており、電話番号簿の配布が各区内に限られるため、異なった区内の電話番号を知るためには、交換局で電話番号を照合しなければならない不便があるので、職業を明示し、三種の電話番号を合わせた電話帳を刊行するとある。

電話帳の内容は、横浜局之部が業種をイロハ順に配し、掲載者の住所の地番順に電話番号・氏名(会社名)・住所・業種を記載している。なお個人の住居に電話を引いている場合は、「住宅及別邸」の項目に記されている。業種の項目数は225種である。

地方之部は東京府の原町田、静岡県の熱海も含め、41局の電話加入者番号を記している。

(9)から(13)は、横須賀郵便局が刊行した電話番号簿で、神奈川県下の横須賀・小田原・川崎など、横浜中央郵便局以外68電話局の加入者名及び電話番号・「電話機架設場所」・職業が記されている。

(14)は、東京の吉川銘木店が刊行した材木店の電話番号簿である。収録されている材木店は、東京市内のものに限られている。配物として作成された電話帳であろう。

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