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「開港のひろば」第108号
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企画展
地域メディアの横顔
昭和の地域振興
昭和初期に普及しはじめたラジオ報道は、速報性はあるものの一過的で、地域の情報にほとんど対応しなかった。それに比して新聞はくりかえし読め、印刷された写真は記事の視覚的理解を助けた。新聞は近代メディアとして成熟期にあった。全国紙の地方版・各県版が生まれるなか、地方紙は地盤をより固めるため、自らの地域的役割への認知を喚起させる方策をはかってゆく。
新聞社が特定のテーマを設定して人気投票をつのり、読者の興味を呼び起こしたことはよく知られている。『横貿』は、昭和5(1930)年4月から5月にかけて「新住宅地十佳選投票」を実施した。
震災後の関東では私鉄網が発展した。県内では、東京横浜電鉄・小田原急行電鉄の開通、神中鉄道の横浜乗り入れ、京浜電鉄と湘南電鉄との連絡があった。
鉄道沿線の住宅地開発は、鉄道にとっては旅客確保につながり、地元にとっては農耕地や山林が宅地・商業地に転じて地代を生む。開発主体の鉄道資本やデベロッパーにとってはビジネスチャンスである。他方、旧来の鉄道省線駅周辺にも別荘地化や、東京の通勤圏となる住宅地が生じていた。「新住宅地十佳選投票」の「新」のゆえんである。このような状況下ではじまった人気投票は、各地に誕生した住宅地のPR合戦に火をつけた。『横貿』は紙面に投票用紙を刷り込み、発行部数増大をもくろんだ。
結果は、43万票以上の白幡丘住宅地(東横沿線)を筆頭に、以下、厚木(小田急・神中)、東明住宅地(東海道・戸塚)、上溝町横山(相模線)、妙蓮寺前(東横)、茅ヶ崎海岸(東海道)、秋葉住宅地(戸塚)、平塚海岸(東海道)、鶴巻温泉(小田急)、橋本駅付近(横浜線)、瀬谷駅付近(神中)、であった。
現在の港南区大久保地区を開発した湘南土地住宅株式会社の経営地は、「十佳選」に及ばなかったものの、20万票以上の票を獲得したことで、高津溝之口・綱島・鵠沼とともに「選外特選」となった。写真からは地元の手放しの喜びようが伝わってくる。
投票期間中の『横貿』紙面は中間得票数を毎日伝えた。組織票をどれだけ積み上げるかが勝敗を決し、締め切り日が近づくにつれて、5位以下の順位が入れ替わった。最終日の票の積み上げが分かれ目となったとみえて、橋本駅付近と瀬谷駅付近は、27万167票で同数。双方ともめでたく「十佳選」入選と相成った。
地元民の激越な集票活動は、単純な人気投票の域をはるかにこえていたが、『横貿』は、地域メディアとして、新たな住宅地の出現を広く認知させる企画で、地域の活性化を仕掛けたのであった。昭和期の『横貿』は都市横浜と県下の各地域とを紙面をつうじて密接に切り結ぶ役割をになったのである。
(平野正裕)