横浜開港資料館

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「開港のひろば」第108号
2010(平成22)年4月24日発行

表紙画像

企画展
地域メディアの横顔

社会教育の先導者として

 

都市問題の専門家でもあった三宅磐(みやけいわお)は、人々が都市の問題を自らのこととして捉えるよう、「市民意識」の覚醒を繰り返し訴えた。『横貿』紙上で「都市」「市政」に関する報道・評論を度々掲載したほか、市政に関する懸賞論文の募集を行うなど、横浜のオピニオン・リーダーとしての役割を果たした。

加えて、大正期には、各界の名士を招いた学術講演会、婦人を対象とした講習会、野球・庭球などの運動会、音楽会・美術会などを開催し、都市の人々に新しい知識や芸術・文化に触れる機会を積極的に提供した。文化行政の乏しかった時代にあって、『横貿』は社会教育をリードしていたのである。

他方、『横貿』は新たな社会の担い手として、農村の青年たちにも大きな期待を寄せていた。大正期の紙面には青年団の記事が散見されるようになる。「県下の青年会」(大正4年)、「青年会と其会長」(大正5年)、「県下青年界」(大正6年)などの連載欄を通して、各団体の活動や篤農青年らを紹介する一方、彼らの『横貿』本社見学などを度々報じている。

大正期の『横貿』が社を挙げて取り組んだ事業が、マラソン競走会と青年大会であった。いずれも創刊25周年記念にあたる大正4年に始まり、以後、毎年開催された。前者は、藤沢ー横浜間約25キロを走破するレースで、初回は県下中等学校10校24名が参加したが、大正11年からは小田原ー横浜間約60キロ(5区)を十数校で競う駅伝大会へと規模を拡大した。参加選手全員の成績は勿論、インタビューや、練習風景、各校紹介などが紙面を飾った。後者は、県下の青年団約200団体の代表者を集めて、名士の講演会を開き、各青年団や農村の抱える課題等を自由に討議する大会で、発言者・発言内容等も詳細に報じられた(後に青年代表者協議会と呼ばれるようになる)。

県下中等学校マラソン大会を報じる『横貿』 大正4(1915)年5月8日
(国立国会図書館所蔵)
県下中等学校マラソン大会を報じる『横貿』

ミニコミ誌などほとんどなかった当時、地域の実践活動や代表者の活躍をリアルに(時には写真付で)伝える『横貿』を手にとった農村の青年たちの興奮は、いかばかりであったろうか。こうした青年を対象とした事業は、『横貿』が県下に勢力を浸透させていくきっかけともなった。

こうして、大正期の『横貿』は、日本屈指の地域メディアへと成長していったのである。

(松本洋幸)

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