横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第107号
2010(平成22)年1月27日発行

表紙画像

資料よもやま話1
創業一世紀の渡邉戊申株式会社

ステレオ写真

ステレオ写真とは、左右2つのレンズをもつカメラで同一の風景・被写体を撮影し、左右2枚で焼き付けたプリントを、専用のビューァーで見ることで、立体的な視覚効果を生む写真をいう。今回まことにタイムリーに貴重なステレオ写真4点が入手できた。

開港後横浜に最初にやってきた写真家、ピエル・J・ロシエが撮したステレオ写真“Views in Japan”のうちの「横浜村」「野毛の役宅」2点は、横浜が被写体となった最古の写真として、すでに本年度第1回企画展示「港都横浜の誕生―新発見資料に見る近代化の原点」で紹介されて、開港150周年にふさわしい貴重な資料として大きな反響を呼んだ(詳しくは、『開港のひろば』104号参照)。

【図2】開港直後の横浜村を撮影したステレオ写真 ロシエ撮影
写真は、山手方面から現在の関内地区を撮したもの。台紙の裏面には“View of the New City of Yakuama, with European shipping in the bay”と印刷されている。
開港直後の横浜村を撮影したステレオ写真 ロシエ撮影

また、それに先がけて、平成20年度第四回企画展示「横浜開港と宣教師―翻訳聖書の誕生」で、ジョン・ウィルソンが文久元(1861)年ころ撮影し、英文で「神奈川のアメリカ領事館」「神奈川のアメリカ・プロテスタント宣教師」とメモ書きされたステレオ写真が公開された。安政五ヵ国条約の条文では開港場は「神奈川」と規定されていたこともあり、開港当初外国公館が神奈川の寺院におかれたことはよく知られている。前者は神奈川の本覚寺(ほんがくじ)であり、後者は成仏寺(じょうぶつじ)を居所としていたヘボンやS・R・ブラウンら宣教師たちとその家族を撮したものである。この2つのステレオ写真によって、来日間もない時期のヘボンらの姿が確認され、これまで明治初期の成仏寺として紹介されていた“The Far East”の写真が、実は本覚寺であったことなど、幕末のキリスト教伝来史の端緒が見直されることとなった。そして加えて渡邉戊申株式会社のある神奈川区に対しても、郷土資料の充実に大きく寄与する結果となっている(詳しくは、『開港のひろば』103号参照)。

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