横浜開港資料館

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「開港のひろば」第107号
2010(平成22)年1月27日発行

表紙画像

展示余話
南綱島の名望家・池谷家

池谷(いけのや)義廣(よしひろ)、戸長(こちょう)となる

明治11(1878)年7月郡区町村編制法が公布され、大区・小区は廃止された。神奈川県は、横浜区と15郡を置くこととなり、各町村では戸長(こちょう)を選出して、郡長の指揮を受けることとなった。南綱島村は橘樹郡(たちばなぐん)に属し、池谷(いけのや)義廣(よしひろ)は、明治12年南北綱島村・箕輪村の3ヶ村の戸長(こちょう)となった。

池谷(いけのや)義廣(よしひろ)(1844〜1922) 池谷(いけのや)光朗氏蔵
池谷義廣

続いて明治17年連合戸長(こちょう)役場制度が導入され、それまで原則として各村に設置されていた戸長(こちょう)役場は、約500戸を単位として数か村を連合して管轄することとなった。南北綱島・樽・太尾・大豆戸(まめど)・大曽根・篠原・菊名の8ヶ村を管轄する連合戸長(こちょう)役場が大豆戸(まめど)に置かれ、池谷が改めて戸長(こちょう)職に就いた。明治22年の町村制施行に際して、これらの村々が合併して大綱村が誕生する。

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