横浜開港資料館

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「開港のひろば」第106号
2009(平成21)年10月28日発行

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企画展
横浜の地方名望家

横浜の地方名望家たち

地方名望家とは、端的に言えば、近代の地域社会において一定の名望を備えている人々のことで、名士・徳望家・素封家・旧家などと呼ばれることも多い。ただその活動は政治・経済・文化など多方面にわたり、実態も多様であるため、厳密に定義することは難しい。ただ彼等に共通する要素としては、近世においては村役人をつとめ、明治初期には区長・戸長(こちょう)などの公職や、多くの名誉職を兼務して、一定の行政能力と地域社会をまとめる才覚を持っていること、また充分な経済力を保有し、地域産業の発展に寄与する一方、地域社会への慈恵的行為を常に怠らないこと、更に高い教養を持ち、地域文化の担い手になっていること、などを挙げることができるだろう。

当館では、「旧家の蔵から 開港場周辺農村の幕末・明治」(平成14年)では獅子ヶ谷(ししがや)の横溝家、「ある明治人の半生涯」(平成15年)では鶴見の佐久間権蔵(さくまごんぞう)、「地域リーダーの幕末・明治」(平成18ー19年)では北綱島の飯田助太夫(いいだすけだゆう)(広配)(ひろとも)と市場の添田知通(そえだともみち)など、横浜の地方名望家に関する企画展示を何度か開催してきた。

では横浜にはこうした地方名望家と呼ばれる人々は、どの程度存在したのであろうか。明治28年に刊行された『帝国名望家大全』という本は、全国の著名人・篤志家などを収録している。神奈川県下約800名のうち、現在の横浜市域に限ってみると、横浜市281名のほか、久良岐(くらき)郡35名、橘樹(たちばな)郡35名、都筑(つづき)郡8名、鎌倉郡18名となっている。この中には、他県出身の政府・神奈川県の高官・議員や、町場の商家なども含まれているため、地方名望家に限定した場合、その数は更に少なくなる。町場を除いて考えると、概ね各村(明治21年の町村制公布後に成立した近代の行政村)に平均2名程度、多いところで3名、場合によっては名望家の記載されていない村もある。この当時、現在の横浜市域は約45の町村に分かれていたので、概ね70〜80名程度が妥当なところではないだろうか。

現市域に江戸時代の村が約200ヶ村存在したことを考えると、近世の村役人層がそのまま地方名望家になり得なかったことは容易に想像できる。以下、明治以降の急速な近代化の荒波の中を生き抜いた3家の地方名望家を紹介することにしたい。

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