横浜開港資料館

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「開港のひろば」第105号
2009(平成21)年7月29日発行

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資料よもやま話2
幕末のイギリス駐屯軍中尉の手紙

昨年、幕末に横浜の山手に駐屯していたイギリス陸軍第二〇連隊第二大隊の中尉、ジェームズ・スミスJames Smyth[図版1]がのこした手紙やスケッチ帳、写真など計21件の資料がスミス家から寄託された。出身地のアイルランドで長い間大切に保管されていたものである。

【図版1】ジェームズ・スミス 「スミス文書」
スミス家寄託・当館保管
ジェームズ・スミス

その一部は、前回の企画展示「港都横浜の誕生」展で紹介した。また横浜開港150周年記念事業として刊行した『図説 横浜 歴史と文化』(有隣堂)の図版特集ページで横浜での生活を活写したスケッチを掲載した。スミスは帰国後、画家への転身を図ったほどの絵心の持ち主であった。

1863(文久3)年7月にポーツマスを出港したスミスら一行は、翌64(元治元)年1月に横浜に上陸した。この第20連隊第2大隊(分遣隊)はイギリス駐屯軍の本格的な最初の部隊となった。

英仏軍は、六二(文久二)年の生麦事件を契機に、翌63年から居留地防衛・居留民保護を名目に横浜に駐屯を開始し、75(明治8)年に完全撤退するまでの約12年間、横浜に駐屯した。

スミスは66(慶応2)年4月に第九連隊と交替するまでの約2年間を山手の丘の兵舎ですごした。

20代半ばの青年士官であったスミスにとり横浜での生活は驚きの連続であったに違いない。部隊の行動とともに日々の暮らしぶりや、当時の日本人や外国人社会の様子が本国の家族宛て手紙55通に詳細につづられている。このスミスの手紙のような駐屯軍の一員がのこした大量の手紙はこれまでに見つかっておらず、貴重である。

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