横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第105号
2009(平成21)年7月29日発行

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資料よもやま話2
幕末のイギリス駐屯軍中尉の手紙

イギリス公使館付医師の手紙

この事件と処刑のもようを本国の家族に書き送ったのはスミスばかりでなかった。スミスと同年代のイギリス公使館付の若き医師ウィリアム・ウィリスもアイルランドに住む兄に12月30日付でつぎのような手紙を出した(萩原延壽『遠い崖2』朝日新聞社、2007年。以下の訳は大山瑞代訳『幕末維新を駈け抜けた英国人医師』創泉堂出版、2003年に拠った)。ウィリスも公使館の一員として処刑に立ち合った。

「サー・ラザフォード・オールコックが離日する前夜、真犯人の一人が逮捕され、彼の屈辱的な処刑の実施が公開されることが発表されました。[中略]まさに初めてのことであり、人々の関心は高まりました。おそらくこの事件が人々の記憶から消えることはないでしょう。しかし、日本においてこのような事件が法に照らして裁かれるようになるまでには、まだまだ時間がかかることでしょう。[後略]

彼は非常に勇気ある死に方をしました。死の直前に詩を朗誦し、「日本は外国に支配されるだろう」という意味の言葉を朗々と詠いました。最後の瞬間にも彼は怯む様子も、死を恐れる様子も見せませんでした。」

ウィリスもスミスと同様、清水の死を怖れない毅然とした態度におどろいている。他方、ウィリスはスミスより2年早い1862(文久2)年に来日し、同年9月におきた生麦事件の負傷者を治療した経験もあり、また公使館の一員として幕府との交渉内容を知ることができたため、鎌倉事件の決着の仕方と今後の見通しについてつぎのような洞察を加えてもいる。

「この事件にはもっと多くの要素が含まれています。これが良い結果を生むことを期待しています。[中略]この事件は今後の凶行を抑制していくための重要な礎となるでしょう。我が国にとっても、日本との関係を築いていくうえで今は非常に重要な時期です。」

ウィリスの言葉どおり、幕府はのこる共犯者、間宮一の逮捕に力を注ぎ、翌年、間宮は逮捕・処刑され、鎌倉事件は生麦事件の時のような外交問題に発展することはなかった。

「スミス文書」の直接の寄託者、リチャード・ニュージェント氏と、仲介の労をとってくださったバーリット・セービン氏に感謝を申し上げます。

(中武香奈美)

新刊紹介
GHQ情報課長ドン・ブラウンとその時代―昭和の日本とアメリカ『GHQ情報課長ドン・ブラウンとその時代―昭和の日本とアメリカ』
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横浜国際関係史研究会と共同して当館蔵「ドン・ブラウン・コレクション」や同研究会の長年の調査研究活動の成果をもとに、戦前・戦中・戦後に亘って日本とふかく関わったブラウンやそのアメリカ人関係者らの日本理解と時代情況を多角的に分析した論文集です。
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(日本経済評論社発行、A5判・234頁、定価:4410円(税込))

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