横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第105号
2009(平成21)年7月29日発行

表紙画像

特別資料コーナー
横浜開港50年祭の記念品
浜菱マークのカフスボタン

今からちょうど100年前の明治42(1909)年7月1日、横浜の街は開港50年祭で一色となりました。当時埋立工事が行われていた新港埠頭付近は、記念祭の主会場となりました。会場入口の万国橋には巨大なアーチと城郭のミニチュアが設置され、紅白幕と万国旗で装飾された上屋倉庫で記念式典が行われ、市内小学校生徒等の合唱で初めて横浜市歌が披露されました。

この時、横浜市歌と並んで浜菱(横浜市のマーク)も制定されました。横浜の街角の至るところに、浜菱を記した提灯が掲げられ、様々な意匠の山車・花車、手踊り、大名行列、提灯行列などが市内を練り歩きました。各町内では様々な趣向を凝らした祝祭余興が繰り広げられ、イルミネーションが夜の街を煌々と照らしました。当初3日間の予定だった祝祭は5日間に延長され、約20万人を集めたと言います(当時の横浜市の人口は約40万人)。

7月1日の記念式典には約5千名の人々が参加しましたが、関係者には、浜菱をデザインした徽章が配られました。金色の浜菱を月桂樹が取り囲み、その内側の上部に「開港五十年紀念」、下部に「1909」の文字を配したものです。この時、2種類の記念品(合計4300個)が用意されたほか、来賓用700個、接待委員用200個、事務員用150個の徽章が製作されました(『横浜開港五十年記念帖』)。

当館では、この時に配られたと思われる浜菱マーク入りの徽章を所蔵しています【写真1】。この資料は、弁天通で雑貨輸出入商店を営んでいた守屋道のご子孫よりご寄贈頂いたものです。

写真1
浜菱マーク入りの徽章

今回、この徽章と全く同じデザインのカフスボタンが新たに見つかりました【写真2】。市内港北区にご在住の添田和衛氏が、父・坦氏の形見として譲り受けたものです。添田坦は、添田知義(明治35〜37年に衆議院議員を務める)の次男で、当時増田増蔵商店に勤務し、のちに横浜史料の収集家として知られています。彼がカフスボタンを入手した経緯は、現在のところ不明ですが、恐らくこれも記念式典で配られた徽章・記念品の一つと考えられます。

写真2
徽章と全く同じデザインのカフスボタン

当館では、添田様ご所蔵のカフスボタンを、特別資料コーナーにて、7月1日より8月30日まで展示致します。

(松本洋幸)

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