横浜開港資料館

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「開港のひろば」第105号
2009(平成21)年7月29日発行

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展示余話
生糸貿易商中居屋重兵衛店の盛衰

番頭の手紙の発見

先ごろ開催した「港都横浜の誕生」展では、近年、発見された幕末から明治10年代の横浜の歴史に関する資料を多数出品したが、その中に長野県上田市生田飯沼地区から見つかった生糸貿易商中居屋重兵衛の番頭であった重右衛門が記した手紙があった。開港資料館では数年前から上田市で調査をおこなってきたが、今回、見つかった手紙は昨年の調査で所在が明らかになったものである。

手紙は、開港直後に横浜でもっとも大量の生糸を外国商館に販売した中居屋が、万延元(1860)年正月に、幕府から営業停止命令を受けていたことについて記したもので、これまで謎とされてきた中居屋の経営悪化の原因を示したものであった。

手紙には、営業停止の理由が「張銅一条」にあったと記され、店の屋根を銅葺きにした中居屋の店の普請が、あまりにも華美であったことが幕府の怒りに触れたことをうかがわせるものであった。中居屋の営業停止については、安政6(1859)年11月に店の支配人が入牢したことが知られていたが(拙稿「開港直後の横浜と貿易」『横浜開港資料館紀要』7号)、その理由については分かっていなかった。

開港直後の横浜商人については、大きな商店であっても、その盛衰について記した資料は大変少ない。特に、横浜は震災や戦災によって市街地中心部が甚大な被害を受け、古記録が残っていないことが多い。そのため、商人の歴史を明らかにするために、全国各地から資料を探し集める必要があり、今回、発見された資料もそうしたもののひとつであるといえる。

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