横浜開港資料館

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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第105号
2009(平成21)年7月29日発行

表紙画像

資料よもやま話1
昭和初期の二つの楽譜

「人形を送る歌」横浜市編

「青い目の人形」は、野口雨情作詞・本居長世作曲で大正10(1921)年に発表された童謡である。しかしこの歌が時代的な意味をもったのは、その六年後の昭和2(1927)年、実際にアメリカから親善人形1万2千余体が日本に送られてきたことによる。

20世紀初頭、カリフォルニア州から始まった日本人排斥運動は、大正13(1924)年に「排日移民法」として連邦議会で成立するまでにいたった。緊張した日米関係を憂えた、宣教師として在日経験のあるシドニー・ルイス・ギューリックは、全米に呼びかけて人形を集め、親善の意味を込めて日本に送った。昭和2(1927)年3月、「青い目の人形」の歓迎会は神宮外苑の日本青年館や、横浜では開港紀念横浜会館(横浜市開港記念会館)で開かれた。この答礼として、日本側では財界の大御所である渋沢栄一が中心となり、皇族・各道府県・主要都市・植民地から「黒い目」の市松人形58体が作られてアメリカに送られることとなった。

ちなみに、日本を代表する照宮成子内親王の人形は「大和日出子さん」、神奈川県は「神奈子さん」、横浜市は「浜子さん」の名が付けられた。「浜子さん」人形は、昭和2年10月10日開港紀念横浜会館で送別会が開かれ、翌月11日にすべての答礼人形たちとともに、日本郵船「天洋丸」でアメリカに渡っていった。

「人形を送る歌」は、この送別会で横浜市内56小学校の女子生徒が歌った歌である。同名の曲としては、高野辰之作詞・島崎赤太郎作曲が知られているが、水島藤吉作詞・井上武士作曲の「浜子さん」を送る歌はあまり知られていない。

「人形を送る歌」楽譜の冒頭 横浜開港資料館蔵
「人形を送る歌」楽譜の冒頭

井上武士(1894〜1974)は、「チューリップ」や「うみ」などの童謡を作り、堀内敬三と岩波文庫『日本唱歌集』(1958年刊)を編集したことで著名であるが、当時は横浜市教育課小学校指導員として唱歌指導にあたっていた。作詞の水島藤吉は教育課視学で、のちに横浜市教育課長となる人物である。

海のあなたの友達に/まことの心もたらして/栄えある今日の鹿島立/みんなであなたをおくりませう

海のあなたの友達は/可愛いゝ指を折りながら/船路の旅も安かれと/あなたのつくのを待つている

「青い目の人形」は、太平洋戦争中に敵国人形として多くが処分された。これに対して「黒い目の人形」はアメリカにその過半が残されている。いずれもその残存状況の把握がすすめられ、「浜子さん」はコロラド州デンバーの人形博物館に現存している(今田英一著『日系アメリカ人と戦争』2005年刊)。

童謡「青い目の人形」を歌える世代は多い。忘れられた横浜の「人形を送る歌」が、その歴史的背景の理解とともに、ふたたび市民のくちびるに戻ることを願うものである。

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