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資料よもやま話2
イギリス駐屯軍と居留地社会
部隊との別れを惜しむ
1864年、連隊は南アフリカに派遣され、68年、第1大隊が横浜に上陸し、今や、香港とシンガポールに向かおうとしている。
第10連隊はわれわれの元を去ろうとしている。東洋生活がもたらした社交の場での多数の気取りのない機会で育まれた友情は、今や断ち切られようとしている。親しげなお喋(しゃべ)り、より大きな関心を寄せる諸問題について真剣に討論したこと、昔の思い出や時間を、また古い共通の友人の思い出を語り合ったり、突然にわれわれの元を訪ずれて家にあがり食卓についたりしたこと、自発的であるが故により一層、歓迎されたこれらすべてのできごとが失われつつある。間もなく、かれらの影響力はわれわれの及ばないところに去ろうとしている。
最後に、かざり気のない、表面的にはありきたりの送別の言葉を2、3贈ろう。温かな心を持つけれど、控えめなイギリス人がつねに自らに許すことのできる言葉の全てである。やがて部隊を乗せた艦船が動きはじめ、別れの手が振られ、人生の大きな車輪が転がっていくのである。人びととの出会いと別れに無頓着に、冷静に、穏やかに、無情に。(以上、「第10連隊の離日」『ジャパン・ウィークリー・メイル』1871年7月29日号から)
第10連隊の出航
去る火曜日の午前、第10連隊第1大隊の士官・兵士、総勢1,022名が山手の兵舎よりフランス波止場まで行進し、6分間の短い待機の後、全員がボートに移り、さらに軍艦タマールに乗り移った。
荷を降ろしたボートは軍艦アドヴェンチャーに横付けされ、第10連隊の後に兵舎に入る海兵隊を乗せ、波止場まで運んだ。海兵隊はそこから山手に行進していった。その日の午後、軍艦タマールは香港に向けて出航した。一翼はノーマン大佐の指揮下、香港に駐屯し、もう一翼はルーカス少佐指揮下、シンガポールに向かうことになっている(『ジャパン・ウィークリー・メイル』1871年8月12日号)。
抄訳にあたりバーリット・セービン氏のご教示をえた。記して感謝を申し上げます。
(中武香奈美)