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館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第98号
2007(平成19)年10月31日発行

表紙画像
企画展
100年前のビジネス雑誌『実業之横浜』−変貌する都市と経済
企画展
実業雑誌と『実業之横浜』
資料よもやま話1
「たまくすプロジェクト」始動
資料よもやま話2
イギリス駐屯軍と居留地社会
新収資料コーナー(6)
武州橘樹郡市場村「御用留」
資料館だより

展示余話
有吉忠一(ありよし ちゅういち)の和歌


霜深き夜ふけに電車の音をきゝて
  つとむる人の労をぞおもふ
今日もまた街をまわりてさまざまの
  進む工事を見るぞたのしき
今日も雨なり復興のわざのかくしつゝ
  おくれもてゆく堪えがたみ思ふ

  大正14年(1925年)5月から昭和6年(1931年)2月まで横浜市長をつとめた有吉忠一(ありよし ちゅういち)が、震災復興の進む横浜の町並みを詠んだ和歌である。

  有吉の趣味は、囲碁、謡、ゴルフ、テニスなど、多方面にわたっていた。和歌もその一つで、市長就任時から昭和8年(1933年)頃までの折々に詠んだ和歌約170首の詠作ノートが残されている。ここではその一部を紹介する。

市長在任中の和歌

  有吉は東京の大山町に自宅を構えていたが、市長時代は野毛山の市長公舎で暮らし、横浜再建と大横浜建設に心魂を打ち込んだ(前号参照)。どの歌にも彼の責任感や充足感が溢れている。

日の御子(みこ)をこゝに迎へて新なる
  大横浜をたつるうれしさ

  (昭和2年(1927年)6月2日秩父宮を迎えて大横浜建設記念式典挙行の日)

今日よりは外国人もこゝろ安く
  旅寝かさねんこゝのみなとに

  (昭和2年(1927年)12月1日 ホテル・ニューグランド開業の日)

西日つよくさし入る室に陳情を
  きゝをれば胸に汗つたひ落つ

  (昭和4年(1929年)7月 市長室にて)

ポトマック川辺のさくらふるさとの
  やまと少女をまちつゝゑむらん

  (昭和5年(1930年)5月 時事新報社主催の遣米答礼使の令嬢たちへ贈る)

つとむべきをつとめ終りて我はさるも
  つねに祈らん浜のさかえは
六とせまへ夢見し市をまのあたり
  みつゝさり行くわれはたのしも
浜のため身もたな知らずもろともに
  つとめし人のまことうれしも

  (昭和6年(1931年)2月 市長を辞して三首)


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