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展示余話
有吉忠一(ありよし ちゅういち)の和歌
佐佐木信綱(ささき のぶつな)と新月会
有吉忠一は、娘の光子(てるこ)・徳子とともに、佐佐木信綱(ささき のぶつな)が主宰する竹柏園(ちくはくえん)に入会し、「心の花」に多数の歌を寄せている。佐佐木との親しい関係を髣髴(ほうふつ)させる和歌二首を示す。
心こめし君のたまもの冬の日の
このたかんなはとこにかざらん
贈られし君がこゝろは冬の日の
たかんなの根の深きよりふかし
(昭和6年1月 筍を贈られて)
横浜には佐佐木信綱門下の同人による新月会という和歌の会があった。原善一郎(はら ぜんいちろう)、斎藤虎五郎(さいとう とらごろう)、野村洋三(のむら ようぞう)らとともに有吉も会員の一人であった。貴族院議員に勅撰された際、新月会の祝賀会で次の歌を詠んでいる。
一すじにまことの道をたがへじと
ねがふ我手をたすけてよ我友
「新月会」(当館保管「有吉忠一関係文書」) 前列左より2人目が佐佐木信綱、3人目が有吉忠一
有吉の竹柏園入会の時期は不明であるが、山県有朋(やまがた ありとも)の常磐会(佐佐木は選者の一人)、もしくは新月会メンバーの紹介かもしれない。
有吉忠一の和歌には、彼の職務に対する謹厳実直な性格とともに、赴任地や家族・知人に対する深い愛情、人物や情景に対する鋭い感覚を垣間見ることができる。その全貌については他日を期することにしたい。
(松本洋幸)
付記 本稿執筆のきっかけは、大倉精神文化研究所に所蔵されている、昭和7年(1932年)の新月会で有吉忠一が詠んだ和歌を紹介した佐佐木信綱の書簡を拝見したことである。有吉忠一の新たな側面に光を当てて頂いた同研究所の平井誠二(ひらい せいじ)氏と打越孝明(うちこし たかあき)氏に心からお礼を申し上げます。