HOME > 館報「開港のひろば」 > バックナンバー > 第97号

館報「開港のひろば」バックナンバー

「開港のひろば」第97号
2007(平成19)年8月1日発行

表紙画像
企画展
区制80周年記念
昭和の幕開け−大横浜を築いた市長・有吉忠一
展示余話
遊女の手紙と遊郭関係資料
資料よもやま話1
牧内元太郎(まきうちもとたろう)と『横浜毎朝新報』
資料よもやま話2
神奈川台場よもやま話
−残された記録を読む−
新収資料コーナー(5)
大震災直前の横浜市街
資料館だより

企画展
大横浜建設と五区の誕生

2  第三次市域拡張と5区の誕生

  大横浜建設記念祝賀式の2ヶ月前、横浜市は周辺の橘樹郡(たちばなぐん)鶴見町・旭村・大綱村・城郷村(しろさとむら)・保土ケ谷町、都筑郡西谷村(にしやむら)、久良岐郡(くらきぐん)大岡川村(おおおかがわむら)・屏風浦村(びょうぶがうらむら)・日下村(ひしたむら)の9ヶ町村を編入して第三次市域拡張を行った。市域面積はそれまでの3.6倍となり、人口も初めて50万人を突破した。横浜市が臨海工業地帯を含む横浜港を拡充して、一層の工業化を進めていくためには、港湾と工業地帯を支える広大な後背地(こうはいち)を獲得して、一元的な行政系統を確立する必要があったのである。

  一方、横浜市の周辺町村では、震災復興事業の進展とともに人口が急増していたが、財源の不足などから住宅・交通等の都市施設の整備が追いついていなかった。各町村では横浜市との合併に際して、道路網の拡充、市電の延長、上下水道の整備など、インフラ整備の進展を希望条件に掲げるところが多かった(大西比呂志(ひろし)『横浜市政史の研究』、有隣堂、平成16年)。

  周辺町村の合併から半年後の昭和2年10月1日、市域拡張で肥大化した市政事務をスリム化して住民対応の合理化を図るために、横浜市は区制を施行し、鶴見・神奈川・中・保土ケ谷・磯子の5区が新たに誕生した(写真2)。平成19年4月現在の区域と大まかに比較すると、神奈川区は現在の神奈川区と港北区の一部と西区の北側を含む地域、中区は中区・南区と西区の南側および港南区の一部を含む地域、保土ケ谷区は保土ケ谷区のほぼ全域と旭区の一部、磯子区・鶴見区はほぼ現在の区域、ということになる。

  各区には区役所が設けられ、区長以下職員が市長から任命され、庶務・税務・戸籍・会計の四係が置かれた。区役所では戸籍、徴税、兵事などの窓口業務に当った。


写真2  大横浜地図

大横浜地図


このページのトップへ戻る▲