編者の伊原看山については、不明である。
なお本書は当館刊『横浜関係人物検索図書目録』(1994年)にも掲載されているように、「選挙区一覧」の項で横浜市市会議員人名が、「官衙」の項で長官名が記されるなど、人名録としても有用である。
『横浜名所図会』
東陽堂編刊 1902(明治35)年 26cm 30・6頁【ZW―フ二】
本書は雑誌「風俗画報」の増刊号(257号)として、東京の東陽堂から出版された。図版として、浜田如洗画の石版画が12枚収録されており、ほかに横浜市全図や写真などが収録されている。
江戸時代中後期になると、寺社への参詣には観光・遊楽的な要素が強くなり、そのため物見遊山の場所の大半を、伝統的な神社仏閣が占める案内記が数多く刊行された。『横浜名所図会』を刊行した東陽堂は、1896(明治29)年から14年がかりで『新撰東京名所図会』(上野公園から深川区まで64冊、近郊名所17冊)を刊行した。『新撰東京名所図会』には、地域の名所として寺社が多数収録されているが、それらは、「概して1830年前後から郊外あるいは近郊出遊の実用的な案内記として江戸の人々に親しまれていたものの増補・最新版というべき内容のものであった」(奥須磨子氏「郊外の再発見」『都市と娯楽 開港期〜1930年代』奥須磨子・羽田博昭編 日本経済評論社刊 2004年)。『横浜名所図会』の「見物の栞」には、横浜の見どころが21ヶ所紹介されており、寺社としては、伊勢山太(ママ)神宮(伊勢山皇大神宮)・成田山不動尊・浅間社・厳島神社(洲乾弁財天)・本牧神社・白滝不動・青木の城址(青木明神)・豊顕寺・浦島の遺跡(観福寿寺)の9ヶ所を取りあげている。そのうち厳島神社・本牧神社・青木の城址・浦島の遺跡については、『江戸名所図会』に記載がある項目である。『横浜名所図会』も、『新撰東京名所図会』同様、江戸時代から続く社寺を中心とした伝統的な行楽地を取りあげ編纂されたと言えるであろう。
なお前出の伊原編『横浜案内』も本書も、「地勢及人口戸数」「在留各外国人戸数及人員」「横浜港貿易高」などの項目で、統計を扱っているが、両者の数値はほぼ一致する。典拠が同じであったか、刊行時期の早かった『横浜案内』の記載事項を『横浜名所図会』が引用したと思われる。
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