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館報「開港のひろば」バックナンバー


企画展
案内記あれこれ


 今回の展示では、明治30年代から大正期にかけて刊行された、横浜に関する案内記を10冊ほど出陳している。ここでは、そのうちの4冊を選んで紹介したい。


『横浜案内』


 伊原看山(貝之三郎)編 1902(明治35)年 横浜 吉本印刷所(吉本光太郎)刊 19cm 6・1、22頁【請求番号 石井文庫―図書―仮206】 なお以下請求番号は【 】で示す。

  出版者の吉本光太郎については、奥付に「太田町三丁目五十五番地 本町印刷所改称吉本印刷所」とある。『横浜姓名録』(加藤大三郎編刊 1898年)の吉本光太郎の項には、「本町印刷所 吉本光太郎 電話八〇五 太田町四丁目六〇」とあることから、吉本は、本町印刷所を吉本印刷所と改め、経営していたと考えられる。

  『京浜実業家名鑑』(京浜実業新報社編刊 1907年)には、「横浜市真砂町三ノ三六番地 吉本寅次郎君 同市太田町三丁目五十五番地 電話 横浜八〇五番」と活版印刷業者吉本寅次郎の名があるが、寅次郎の住所は、『横浜案内』にある光太郎の住所と同じであることから、吉本光太郎・寅次郎は同族であろう。また吉本寅次郎の名は、『横浜成功名誉鑑』(横浜商況新報社刊 1910年)にもあるが、住所は「真砂町三丁目三六 電話八〇五」とあり、太田町の住所は記載されていない。

「開港のひろば」第87号
2005(平成17)年2月2日発行

企画展
100年前の横浜ウォーキング
ー『横浜案内』の世界ー
企画展
案内記あれこれ

『横浜名所図会』
『横浜案内横浜明細図入』初版
『横浜案内附横浜明細図入』再版
『京浜遊覧案内』
展示余話
「リバーサイドヒストリー 鶴見川
−幕末から昭和初期まで−」展
資料よもやま話1
渡辺修二郎の横浜史料(上)
資料よもやま話2
新聞小政と動物園
閲覧室から
新聞万華鏡(18)
新聞広告と代理店
資料館だより

 編者の伊原看山については、不明である。

  なお本書は当館刊『横浜関係人物検索図書目録』(1994年)にも掲載されているように、「選挙区一覧」の項で横浜市市会議員人名が、「官衙」の項で長官名が記されるなど、人名録としても有用である。


『横浜名所図会』

東陽堂編刊 1902(明治35)年 26cm 30・6頁【ZW―フ二】


 本書は雑誌「風俗画報」の増刊号(257号)として、東京の東陽堂から出版された。図版として、浜田如洗画の石版画が12枚収録されており、ほかに横浜市全図や写真などが収録されている。

  江戸時代中後期になると、寺社への参詣には観光・遊楽的な要素が強くなり、そのため物見遊山の場所の大半を、伝統的な神社仏閣が占める案内記が数多く刊行された。『横浜名所図会』を刊行した東陽堂は、1896(明治29)年から14年がかりで『新撰東京名所図会』(上野公園から深川区まで64冊、近郊名所17冊)を刊行した。『新撰東京名所図会』には、地域の名所として寺社が多数収録されているが、それらは、「概して1830年前後から郊外あるいは近郊出遊の実用的な案内記として江戸の人々に親しまれていたものの増補・最新版というべき内容のものであった」(奥須磨子氏「郊外の再発見」『都市と娯楽 開港期〜1930年代』奥須磨子・羽田博昭編 日本経済評論社刊 2004年)。『横浜名所図会』の「見物の栞」には、横浜の見どころが21ヶ所紹介されており、寺社としては、伊勢山太(ママ)神宮(伊勢山皇大神宮)・成田山不動尊・浅間社・厳島神社(洲乾弁財天)・本牧神社・白滝不動・青木の城址(青木明神)・豊顕寺・浦島の遺跡(観福寿寺)の9ヶ所を取りあげている。そのうち厳島神社・本牧神社・青木の城址・浦島の遺跡については、『江戸名所図会』に記載がある項目である。『横浜名所図会』も、『新撰東京名所図会』同様、江戸時代から続く社寺を中心とした伝統的な行楽地を取りあげ編纂されたと言えるであろう。

  なお前出の伊原編『横浜案内』も本書も、「地勢及人口戸数」「在留各外国人戸数及人員」「横浜港貿易高」などの項目で、統計を扱っているが、両者の数値はほぼ一致する。典拠が同じであったか、刊行時期の早かった『横浜案内』の記載事項を『横浜名所図会』が引用したと思われる。





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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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