問題は、文末の署名「朶撫流」氏とは、英語の文字を組み合わせた様な印影(図(2))の持主は誰かである。本図は、『横浜市史稿』附図(昭和7年)に復刻・収録されたが、編者の堀田璋左右は、解題でこれを渡辺修次郎と推定している。確かに、「朶撫流」はダブル(ダブリュー)と読み、渡辺の頭文字で、印は英文字WATANABEを図案化したものの様でもある。渡辺は『阿部正弘事蹟』の著者として知られるが、一般的な人名辞典に出てくる人物では無かった。そこで、彼の周辺を探ってみた。
「朶撫流」は渡辺修二郎か
大正13年(1924)、吉野作造や尾佐竹猛らが設立し、わが国の近代史研究に先鞭をつけた民間の研究団体に明治文化研究会がある。渡辺は、その機関誌『新旧時代』第1年5冊(大正14年6月)に「清水卯三郎の事一二件」を最初に、幾つか論考を寄せている。また、渡辺稿と前後して「江洲朶撫流」氏の論稿がある。同誌第3年1冊(昭和2年1月)に「森有礼と西野文太郎」、同7冊「明治14年の政変関係『私擬憲法』について」など、何れも未紹介史料を翻刻したものだった。そのような一つに、『新旧時代』の改題誌『明治文化』第6巻2号(5年2月)に渡辺修二郎「明治前後日欧文学の関係(上)」がある。これは、海外における日本語文献の翻訳を紹介したものだが、その一つに筆者が珍蔵する柳亭種彦『浮世形六枚屏風』(豊国画、文政4年)の英訳本を取り上げている。その表紙図版が図(3)である。右上の印影は、図(2)と全く同じ。印影を媒介に、「朶撫流」氏は渡辺修二郎その人であることが証明されたことになる。先の「江洲朶撫流」は、「エス・ダブル」と読み、渡辺の名前と苗字の頭文字を漢字表記したと考えられる。
図(3)英訳『浮世形六扇屏』
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