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館報「開港のひろば」バックナンバー


資料よもやま話1
渡辺修二郎の横浜史料(上)


「横浜村並近傍之図」の作者

 幕末開港前の横浜村とその周辺を描いた地図に、現在、横浜市中央図書館が所蔵する「横浜村並近傍之図」がある(図(1))。様々な展覧会や出版物で紹介されてきたから、御存知の方も多いだろう。標題下に、横浜村の古写図を鈴木重治による嘉永四年当時の見取図等で修正し、開港以降の地形の変遷を朱字で加筆したと説明がある。鈴木の原図は『横浜開港五十年史』口絵に掲載された記憶による横浜村の鳥瞰図で、彼はまた古老連の回顧談話集『横浜開港側面史』に登場する語り手の一人であった。幕末当時佐久間象山の学僕だったという。そして左上の説明文は、村名を記した最古の文書や「新編武蔵風土記稿」の記述を紹介し、続けて開港前の戸数「僅ニ百一ニ過ギズ、多クハ漁猟ヲ業トシ農家ハ三ノ一」と、開港直前の横浜村の姿を伝える史料として今日に引用される。


図(1)「横浜村並近傍之図」横浜市中央図書館所蔵。

図(2)図(1)の部分拡大。

「開港のひろば」第87号
2005(平成17)年2月2日発行

企画展
100年前の横浜ウォーキング
ー『横浜案内』の世界ー
企画展
案内記あれこれ
展示余話
「リバーサイドヒストリー 鶴見川
−幕末から昭和初期まで−」展
資料よもやま話1
渡辺修二郎の横浜史料(上)

「朶撫流」は渡辺修二郎か
渡辺の著作活動
資料よもやま話2
新聞小政と動物園
閲覧室から
新聞万華鏡(18)
新聞広告と代理店
資料館だより

  問題は、文末の署名「朶撫流」氏とは、英語の文字を組み合わせた様な印影(図(2))の持主は誰かである。本図は、『横浜市史稿』附図(昭和7年)に復刻・収録されたが、編者の堀田璋左右は、解題でこれを渡辺修次郎と推定している。確かに、「朶撫流」はダブル(ダブリュー)と読み、渡辺の頭文字で、印は英文字WATANABEを図案化したものの様でもある。渡辺は『阿部正弘事蹟』の著者として知られるが、一般的な人名辞典に出てくる人物では無かった。そこで、彼の周辺を探ってみた。


「朶撫流」は渡辺修二郎か

大正13年(1924)、吉野作造や尾佐竹猛らが設立し、わが国の近代史研究に先鞭をつけた民間の研究団体に明治文化研究会がある。渡辺は、その機関誌『新旧時代』第1年5冊(大正14年6月)に「清水卯三郎の事一二件」を最初に、幾つか論考を寄せている。また、渡辺稿と前後して「江洲朶撫流」氏の論稿がある。同誌第3年1冊(昭和2年1月)に「森有礼と西野文太郎」、同7冊「明治14年の政変関係『私擬憲法』について」など、何れも未紹介史料を翻刻したものだった。そのような一つに、『新旧時代』の改題誌『明治文化』第6巻2号(5年2月)に渡辺修二郎「明治前後日欧文学の関係(上)」がある。これは、海外における日本語文献の翻訳を紹介したものだが、その一つに筆者が珍蔵する柳亭種彦『浮世形六枚屏風』(豊国画、文政4年)の英訳本を取り上げている。その表紙図版が図(3)である。右上の印影は、図(2)と全く同じ。印影を媒介に、「朶撫流」氏は渡辺修二郎その人であることが証明されたことになる。先の「江洲朶撫流」は、「エス・ダブル」と読み、渡辺の名前と苗字の頭文字を漢字表記したと考えられる。


図(3)英訳『浮世形六扇屏』





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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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