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館報「開港のひろば」バックナンバー


新聞小政と動物園


写真1  新聞小政

  明治初期の新聞配達人は、当初は天秤棒の先に新聞を入れた箱をつけ、それを担いで配達していたが、そのうち「チリンチリン箱」と呼ばれるはさみ箱に新聞を入れたものを担ぎ、鈴を鳴らして配達するようになった。文明開化の新しい風俗の一つである。

  昨年度の企画展示「日刊新聞、誕生ス―『横濱毎日新聞』と文明開化の横浜―」では、「新聞小政」と呼ばれた新聞売りの写真(写真1)を展示した。小政は、刺し子半纏に草鞋ばき、日の丸の旗を二本立てた黒塗りのはさみ箱を担いだスタイルで評判となった。この時期、新聞売りとして有名になり、肖像が残されている人物は小政くらいのものだろう。その後、さらに小政の履歴を知ることができた。

  「新聞小政」は、『横浜市史稿風俗編』(昭和7年)では本名安藤政吉となっているが、正しくは安藤政次郎であり、意外なことに、豊橋市の動物園の創業者であることがわかった。どうやら、豊橋でも有名な人物だったらしい。豊橋総合動植物公園には、政次郎のご子息が建てた「安藤政次郎翁追憶之碑」(写真2)が、現在も残されている。

「開港のひろば」第87号
2005(平成17)年2月2日発行

企画展
100年前の横浜ウォーキング
ー『横浜案内』の世界ー
企画展
案内記あれこれ
展示余話
「リバーサイドヒストリー 鶴見川
−幕末から昭和初期まで−」展
資料よもやま話1
渡辺修二郎の横浜史料(上)
資料よもやま話2
新聞小政と動物園

閲覧室から
新聞万華鏡(18)
新聞広告と代理店
資料館だより

写真2  安藤政次郎翁追憶之碑


   また、政次郎の伝記も発行されていた。その伝記である『安藤動物園物語』を書かれた金子功氏のお宅には、政次郎のご子孫から寄贈された資料が保管されており、中には動物園を経営している頃の政次郎の写真やご子息が追憶之碑を建てた時の資料も含まれている。ここでは、その資料の中から追憶之碑建立の際に作成された碑文の原稿を中心に、安藤政次郎の足跡を辿ってみたいと思う。

  安藤政次郎は、安政2年(1855)1月10日、豊橋の吉田紺屋町(現在豊橋市大手町)で染物屋を営む安藤喜久治の長男として生まれた。

  明治10年(1877)22歳の時、静岡市に出て同市江川町に居住し、『静岡新聞』を発行する提醒社の新聞販売所を開業したという。

  そして、明治13年(1880)、25歳の時に横浜にやって来た。『横浜市史稿風俗編』には、弁天通4丁目で新聞取次業を営んでいたとあるが、碑文の原稿では、横浜市尾上町5丁目に移転して、魁、読売新聞など諸新聞の委託販売を開業したとなっており、後に常盤町46番地に移って諸新聞売捌所(販売店)を設置したとも書かれている。販売人から始まって、販売店を持つようになったということだろうか。

   小柄だったため「小政」と呼ばれるようになり、明治13年12月21日に自ら姓名の「安藤政次郎」を「安藤小政」と改称したという。明治14年に発行された『横浜細精記』にも新聞売捌人(販売人)の項目に「安藤小政」が掲載されている。この年、小政の扮装をした五世尾上菊五郎の錦絵が発行されている。これは、歌川国松画「諸新聞売捌安藤小政  尾上菊五郎」(明治14年12月)で、現在早稲田大学図書館の西垣文庫に所蔵されている。また、小政に扮した菊五郎が主役となり、小説に題材をとった芝居が上演されて人気を博したというが、残念ながら、この舞台に関する資料は見当たらない。しかし、錦絵に登場するほど、東京や横浜で名前を知られるようになったのである。





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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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