企画展
100年前の横浜ウォーキング
ー『横浜案内』の世界ー
『横浜案内』(鈴木金輔編)1905(明治38)年 東京 金真堂(鈴木金輔)刊)と袋
1859(安政6)年、横浜が開港すると、横浜は国内有数の貿易港として発展し、国内外から多くの人が移り住みました。異国情緒溢れる街並みや外国人の習俗は、人々の興味をひき、開港場横浜は、江戸近郊の行楽地としても知られるようになりました。そして『横浜土産』1860・61(万延元・文久元)年や『横浜開港見聞誌』1862・65(文久2・慶応元)年など、横浜本といわれる横浜の案内記が多数刊行されました。
明治30年代後半になると、京浜電気鉄道や横浜電気鉄道など電気鉄道の敷設が進み、東京と横浜間の往来は、1872(明治5)年に敷設された鉄道だけではなく、電車によっても行き来することが出来るようになりました。東京から横浜への旅がより手近になり、横浜が東京近郊の身近な観光地となったころ、横浜に関する案内記の刊行が、再び盛んになります。そして観光や商業目的で横浜を訪れる人々のために出版されたこれらの案内記には、単に名所旧跡だけではなく、活気溢れる街の賑わいが記されています。
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