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館報「開港のひろば」バックナンバー


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新聞万華鏡(18)

新聞広告と代理店


 群馬県佐波郡堺町島村は、幕末から養蚕・蚕種業が盛んな地域でした。島村に残された文書からは、幕末・明治初年にかけて生糸に次ぐ輸出品であった蚕種の生産・流通の様子や、蚕種輸出に対する幕府や明治政府の政策を知ることができます。蚕種業者の中心人物の一人が田島弥平でした。

  横浜開港資料館では、弥平のご子孫である田島健一氏のご厚意で、所蔵されている文書の調査をさせていただき、一部は複製を作成して公開しています。文書のなかには、東京京橋区にあった広告代理店広目屋の広告と、明治25年12月の「全国各地方新聞広告定価一覧表」、「諸新聞広告定価一覧表」が含まれています。残念ながらこの文書は、当館では公開しておりませんが、貴重な資料なので紹介したいと思います。


広目屋「諸新聞広告定価一覧表」(田島健一氏蔵)


「広告取扱の主意」には、次のように書かれています。
「一 新聞広告の種類により新聞紙の当否を御協議申すべし
斬新にして成るべく一目を聳動するに足る様、体裁趣向を工夫し趣味ある方法を取る
広告文案其他諸種事業に関する文章、御需めに応じ起草す
広告原稿一葉御遣しに相成候へば、謄写の上各新聞社へ廻すべし
広告用ステロータイプ等、総ての附属品の調製を引受可申候
御依頼の広告掲載の新聞紙は一枚宛進呈す、但し五行以下は此限りにあらず
市下は端書きを投ぜらるれば直に係員を派して多少に不抱御用弁可仕、且時々係員を派して御用の有無を為御伺申候」
「開港のひろば」第87号
2005(平成17)年2月2日発行

企画展
100年前の横浜ウォーキング
ー『横浜案内』の世界ー
企画展
案内記あれこれ
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「リバーサイドヒストリー 鶴見川
−幕末から昭和初期まで−」展
資料よもやま話1
渡辺修二郎の横浜史料(上)
資料よもやま話2
新聞小政と動物園
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  広目屋はまた、新聞広告以外の広告の取り扱いを特色としました。例えば、鉄道馬車内の広告、全国各停車場内の掲示広告、各劇場引き幕の広告並びに絵本の筋書き広告、その他名優による商品を披露する引札の散布等、様々であったようです。

  広目屋が扱った新聞広告の一覧表を見てみましょう。「全国各地方新聞広告定価一覧表」には、北海道から九州までの85紙の広告料が書かれています。値段は、1行25字詰で1日限2銭の『高田新聞』から、1行22字詰1日限20銭の『大阪朝日新聞』まで様々です。

  「諸新聞広告定価一覧表」には、東京、横浜で発行された26紙の広告料が載っています。『横浜貿易新聞』は、1行22字詰で1日限10銭、東京で発行された『東京朝日新聞』は1行22字詰で3日迄15銭、『時事新報』は1行24字詰で1日限13銭になっています。横浜で発行された外国語の新聞は、『ジャパン・メール』、『ジャパン・ガゼット』が1週間1インチに付1円、『イースタン・ワールド』が1日1インチに付25銭になっています。

  田島弥平は、明治26年5月4日付『時事新報』などに蚕種の広告を出しています。その効果のほどは正確にはわかりませんが、静岡県や山形県など各地から、広告を見て蚕種を注文したいという内容の書簡が届いています。有効な手段の一つではあったのでしょう。

(上田由美)





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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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