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館報「開港のひろば」バックナンバー


シンポジウム

  つづいてシンポジウム「ペリー来航の意味を考える」に移った。加藤祐三氏(横浜市立大学名誉教授)の司会のもと、映像を交えながら、同氏の基調報告、針谷武志(別府大学助教授)、西川武臣(当館調査研究員)、岩壁義光(宮内庁書陵部編修調査官)各氏の報告があり、つづいて討論が行われた。

  加藤氏は、ペリー艦隊の戦力を知っていた幕府の〈避戦論〉とフィルモア大統領の〈発砲厳禁命令〉によって戦争を回避することができ、また日米会談で双方が言うべきことを主張することができたため和親条約を締結することができたと述べた。


加藤祐三氏

  針谷氏は「江戸湾お固め」と題して幕府の防備体制について報告し、ペリー来航以前の〈将軍を守る〉という体制から、ペリーの第一次来航以降は〈鎖国体制をどう守るか〉に認識が変わり、大船建造が許可され、外様大名が防衛に参加するようになった。さらにペリー再来航(和親条約締結)以降には重点が江戸から京都へ移り、大坂湾や京都(朝廷)の守りが重要になるというように、〈何を守るか〉の認識が変化していったと論じた。

  ただペリー来航後の諸藩の配備体制は、実際にはペリー再来時には間に合わず、「御代泰平鑑」といった瓦版で流布した動員体制は、本来こうなっているべきだという図であって、実態を反映したものではない、と注意を促した。

シンポジウム(続)へ

「開港のひろば」第85号
2004(平成16)年8月4日発行

企画展
蓮杖&金幣
ー横浜写真ことはじめー
企画展
「蓮杖&金幣」展に寄せて
蓮杖の呪縛からの解放
講演会
開国150周年記念講演会・シンポジウム
「ペリー来航―そのとき幕府は、人びとは…」

記念講演
シンポジウム(続)
資料よもやま話1
『禁酒会のおきて』
−南小柿洲吾関係史料から−
資料よもやま話2
1922年、航空写真に見る中華街
閲覧室から
新聞万華鏡(16)
布川悦五郎と新聞・雑誌
資料館だより




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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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