シンポジウム
つづいてシンポジウム「ペリー来航の意味を考える」に移った。加藤祐三氏(横浜市立大学名誉教授)の司会のもと、映像を交えながら、同氏の基調報告、針谷武志(別府大学助教授)、西川武臣(当館調査研究員)、岩壁義光(宮内庁書陵部編修調査官)各氏の報告があり、つづいて討論が行われた。
加藤氏は、ペリー艦隊の戦力を知っていた幕府の〈避戦論〉とフィルモア大統領の〈発砲厳禁命令〉によって戦争を回避することができ、また日米会談で双方が言うべきことを主張することができたため和親条約を締結することができたと述べた。
加藤祐三氏
針谷氏は「江戸湾お固め」と題して幕府の防備体制について報告し、ペリー来航以前の〈将軍を守る〉という体制から、ペリーの第一次来航以降は〈鎖国体制をどう守るか〉に認識が変わり、大船建造が許可され、外様大名が防衛に参加するようになった。さらにペリー再来航(和親条約締結)以降には重点が江戸から京都へ移り、大坂湾や京都(朝廷)の守りが重要になるというように、〈何を守るか〉の認識が変化していったと論じた。
ただペリー来航後の諸藩の配備体制は、実際にはペリー再来時には間に合わず、「御代泰平鑑」といった瓦版で流布した動員体制は、本来こうなっているべきだという図であって、実態を反映したものではない、と注意を促した。
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