写真(3)新聞売り小政

新聞販売店と新聞小政
幕末から明治初年にかけて発行された新聞は、絵草紙屋や書店で販売されていた。『横浜毎日新聞』などの近代的な新聞が創刊されてからも、しばらくはそのような状況にあったという。『横浜毎日新聞』の創刊号には、毎日購入する読者には活版社から直接配達し、遠方の購読者には最寄の取次所から届けると書かれている。
写真(3)は、新聞売りの安藤政吉、通称小政である。『横浜市史稿風俗篇』(昭和7年)によれば、安藤政吉は当時弁天通り4丁目で新聞取次業を営んでおり、襟に諸新聞小政と染め抜いた印半纏に紺の股引・腹掛け姿で、黒塗りのはさみ箱を担ぎ、鈴を鳴らして市中で新聞を売り歩いていた。
政吉は小柄だったので小政とあだ名され、自ら襟に小政と書いていた。そのいきな姿は東京でも評判になったほどで、万事新しいものを好む五代目尾上菊五郎が、劇中に新聞売小政の扮装をして人気を博した。その姿は、錦絵にも刷られて、絵草紙屋の店先にまで小政の名前と評判は広がったということだ。
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