写真(2)新聞代金領収書

新聞の購読
各村で新聞を購読していたことを示す資料としては、新聞の購読記録や新聞代金の領収証がある。次にそれらをみていきたい。
まず、明治7年(1874)頃の鶴見村(現在、鶴見区)では、鶴見神社と旧名主佐久間家の2軒しか『横浜毎日新聞』を購入していなかったことが鶴見神社所蔵の文書に書かれている。参考までに発行部数がどれくらいだったかというと、明治5年6月18日の『横浜毎日新聞』に、部数が2千余りになったという記事が掲載されている。
また、写真(2)は『横浜毎日新聞』の領収証である。明治5年6月20日のもので、1ヶ月の代金銀36匁を前金で横浜活版社が受け取ったことを記している。
『横浜毎日新聞』は、明治4年には本紙が2頁建てから4頁建てになり、明治5年6月16日からは「紙巾を広め」るためと称して値上げをしている。創刊当時は、1ヶ月の購読料は銀24匁だったから、1年半の間に1.5倍になっている。大工の手間賃が明治元(1868)年に1日17匁くらい(『近世後期における主要物価の動態』三井文庫編)なので、1ヶ月の新聞の購読料は、およそ大工の2日分の賃金に相当する。当時の新聞は、かなり高価なものだったことがわかる。
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