港湾労働者の種類
写真(1) 港で働く子どもたち 明治中期の写真アルバムから。当館所蔵
明治22年の規則により、警察署が労働者に鑑札を交付して監督することとなった。その際、甲種と乙種の区別が設けられた。請負業者は「部屋」と呼ばれる集合住宅を所有していたが、「部屋」に居住する者、及び業者所属の労働者が甲種、それ以外が乙種である。甲種は業者に所属しているので安定しているかわりに自由がなく、乙種はいわゆる「日雇」で不安定なかわりに自由がある。
報告書によれば、これら鑑札を要する「免許人夫」のほかに、必要のない「普通人夫」もいた。その全体は表(1)のように区分されていた。
横浜が生んだ二人の作家、長谷川伸と吉川英治は少年の頃、いずれも横浜船渠で働いており、港湾労働の実態をよく知っていた。吉川英治には、自身の体験に基づき、少年労働者を主人公とした作品「かんかん虫は唄ふ」がある。
写真(1)は、「象の鼻」と呼ばれる突堤を写した写真(2)と照合することによって、突堤上の建物(矢印の箇所)の前で撮影されたことが判明する。港で働く少年たちに違いない。
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