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館報「開港のひろば」バックナンバー


企画展
「郷土を誌(しる)す
−近代横浜・神奈川の地誌−」


都筑郡中川尋常小学校で編纂された地誌の数々 昭和初期 横浜市立中川小学校蔵

県に提出された地誌書上の控
1877年(明治10) 布川素子氏所蔵

「開港のひろば」第79号
2003(平成15)年2月5日発行

企画展
『吉田沿革史』と『吉田誌』
展示余話
旧家に残された資料から
−橘樹郡茶業組合について−

人物小誌
関東の大遊園地・花月園と平岡広廣高
資料よもやま話
港で働く人びと
−昭和8年(1933)の調査から−
閲覧室から
新聞万華鏡(11)
資料館だより


 一般に「地誌」とは、ある一定の地域における自然や文化・産業などを書上げた書籍等のことで、名所記や旅行記の類をも含む、広範な内容をもつ言葉です。

 日本における地誌の編纂は、713年(和銅6)に実施された各国風土記の編纂が最初です。しかし官撰・私撰を問わず、数多くの地誌が編纂されたのは、江戸時代になってからでした。市域に関わる官撰の地誌としては、『新撰武蔵風土記稿』『新撰相模国風土記稿』があり、私撰のものの一つとしては、相模国鎌倉郡渡内村(現藤沢市渡内)の名主福原高行・高峯父子による『相中留恩記略』があげられます。

 明治政府は、1872年(明治5)正院に地誌課を設け、地誌編纂を開始しました。地誌編纂は、当時の政府の最高機関である正院で行なうべき重大事業としてスタートし、紆余曲折を経て、1893年(明治26)まで続けられました。地誌編纂にあたり政府は、県を通じて各村に地誌書上を作成・提出させました。写真で紹介する「地誌編輯 三分村」は、武蔵国久良岐郡宿村(現横浜市金沢区)の名主を務めた布川家に残る地誌書上の写しです。市域に残されたそれら書上の写しによって、政府の地誌編纂事業の一端をたどることができます。

 日露戦争後、地方改良運動が盛んになると、図書館の設立、郷土誌の編纂、史蹟・名勝の保存、文化財の保護などが盛んに謳われるようになりました。学校での郷土教育の重要性が強調され、地域での史蹟・名勝保存運動が起こりました。郷土への関心が高まるとともに、大正から昭和にかけて、地誌編纂のブームが到来します。急激に変化する社会を反映し、学校や郡町村が地誌の編纂を行ないました。また交通網の整備とあいまって、史蹟・名勝を訪ねる観光が盛んになり、観光案内やパンフレットも出版されました。

 展示では、幕末から昭和初期にかけて、横浜史域および神奈川県下の各地について書かれた、多様な地誌を取り上げ、地誌編纂の歴史をたどるとともに、地誌に描かれた当時の地域の様子を振り返ります。

(石崎康子)





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最終更新日2006年8月20日  Last updated on Aug 20, 2006.
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